ZIPANG-4 TOKIO 2020 日本遺産「知ってる!? 悠久の時が流れる石の島 〜海を越え,日本の礎を築いた せとうち備讃諸島〜とは」
はじめに 記事をお届けするに当たり、昨夏、関東・東北地域を直撃した、強烈な台風19号と、続く21号の記録的な豪雨で、千葉や栃木、福島など5県の34河川で浸水被害や土砂災害により亡くなられた方々を始め、多岐に亘って被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。また、このたび我が国の世界遺産である沖縄のシンボル首里城の正殿等主要部分の全焼被害が発生。やりきれぬ国民的ショックも癒えぬ中、重ねて2019年12月4日、アフガニスタン東部で長年医療と共に当地に用水路を完成させた国民的英雄、中村哲医師の暗殺事件が続きました。余りにも大き過ぎる一連の悲報に暮れた昨今です。今私達は世界平和の為に何が出来るか…?中村氏が遺した後姿から一人ひとりが何かを学び取り、その実践こそが目指した真の世界樹に繋がるものと思います。謹んで哀悼の意を捧げつつ。合掌
日本遺産 北木島 石切り場
日本遺産とは
主旨と目的
我が国の文化財や伝統文化を通じた地域の活性化を図るためには, その歴史的経緯や, 地域の風土に根ざした世代を超えて受け継がれている伝承, 風習などを踏まえたストーリーの下に有形・無形の文化財をパッケージ化し, これらの活用を図る中で, 情報発信や人材育成・伝承, 環境整備などの取組を効果的に進めていくことが必要です。 文化庁では, 地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し, ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援します。 世界遺産登録や文化財指定は, いずれも登録・指定される文化財(文化遺産)の価値付けを行い, 保護を担保することを目的とするものです。一方で日本遺産は, 既存の文化財の価値付けや保全のための新たな規制を図ることを目的としたものではなく, 地域に点在する遺産を「面」として活用し, 発信することで, 地域活性化を図ることを目的としている点に違いがあります。
日本遺産事業の方向性
日本遺産事業の方向性は次の3つに集約されます。
1 地域に点在する文化財の把握とストーリーによるパッケージ化
2 地域全体としての一体的な整備・活用
3 国内外への積極的かつ戦略的・効果的な発信
日本遺産
「知ってる!? 悠久の時が流れる石の島〜
海を越え,日本の礎を築いた せとうち備讃諸島〜」
日本遺産 笠岡諸島
瀬戸内海国立公園の名勝地「白石島」
笠岡港から約16kmにある島。笠岡沖に点在する30余りの島々「笠岡諸島」の中央に位置し、景観の中心となっています。花崗岩の地肌が遠くから白い雪をかぶったように見えることから、白石島と呼ばれるようになったと言われています。また、瀬戸内海国立公園の名勝地として知られる白石島は夏のマリンレジャーをはじめ、弘法大師ゆかりの寺や幻想的な白石踊りなどを目的に、家族連れやグループなど多くの人々が訪れています。
「白石島」のビーチ。貴方もきっと、できるならここで一生過ごしたいと・・・
日本の建築文化を支え続ける石
大阪城と石垣
日本の近代化が進んだ明治後期から昭和初期にかけて、国家事業として建設された日本銀行本店本館をはじめ、明治生命館などの日本を代表する近代洋風建築が建てられたが、そこには瀬戸内海の島々、とりわけ岡山県と香川県の間に展開する備讃諸島で産まれた花崗岩が使われてきました。
一方で、我が国が世界に誇る石造建造物である、近世城郭の石垣。その技術的頂点とも言われるのが、大坂城の石垣であります。大坂城は、徳川幕府が西国・北国の大名63藩64家を大動員して、元和6年(1620)から寛永6年(1629)の間に再建した。大名たちは競うように巨大な石を運び込み、最高・最多量といわれる壮大な石垣を築き上げた。この石垣にも、遠く離れた備讃諸島から運ばれてきた石材が大量に使われている。
これらの日本を象徴する歴史的建造物は、備讃諸島の石なくして語ることはできない。
石切りの歴史
日本遺産 北木島 石切りの渓谷展望台 海は遥か上に存在し、空が近く感じる!
原産地となった瀬戸内の備讃諸島は、小豆島、塩飽諸島、笠岡諸島などを含んでおり、その名のとおり大小無数の島々が本州と四国の間に展開して、典型的な多島海景観を見せています。
小豆島「重岩(かさねいわ)」(土庄町小瀬)
小瀬原丁場跡を見下ろす山頂に鎮座する巨石。小瀬石鑓神社のご神体であり、巨石への信仰をうかがわせます。
島には平地が少なく、山肌から海岸まで、至るところに花崗岩などの巨石がむき出しとなっていて、このような特性を活かして、江戸時代以降、良質の石が切り出され、建造物に使われるようになっていきました。
その400年の歴史が凝縮されているのが、丁場(ちょうば)と呼ばれる石切場であります。石に鉄製の矢(クサビ)を打ち込み、割りとることを「切る」といい、大きな石を切るためには、石の目を読む高度な技術と、そのための道具が必要となります。
小豆島の大坂城石垣丁場跡
小豆島には大坂城築城に使った石垣の石切丁場跡が点在します。秀吉時代に採石したという伝承もありますが、多くは徳川幕府による大坂城再築時によるものです。
小豆島に残る江戸時代の大坂城石垣の丁場跡では、直径2~3m、あるいはそれ以上の大きさの割石が、山肌に沿ってあたり一面に転がっています。その様は、大名たちによるダイナミックな石切りの様子を如実に物語っており、連続して矢(クサビ)を打ち込んだ痕や、採石した者の証となる刻印から、当時の技術をうかがい知ることができるのです。
巨石を切り出す技術者達の来島によって、豊富な花崗岩を使いこなす文化が島に生まれた。塩飽本島では、木烏神社鳥居や島の統治者「年寄」の墓などの大形石造物が、この頃から造られるようになりました。
重要文化財「旧横浜正金銀行本店本館」
この建物は明治三十三年着工し、明治三十七年に完成した石造三階建です。
現在は神奈川県の所有になり、関東大震災で被災したドームを復原し、一部増築および改修をして県立博物館に使用しています。明治三十年代における代表的洋風建築で、外観はよく保存されておりすぐれた意匠をもっています。
明治以降、花崗岩の採石は地場産業として確立されていき、そんな中、笠岡諸島の北木島から切り出された「北木石」と呼ばれる花崗岩は東京をはじめ、全国各地の近代建築に使われてきました。
北木石を使った重要文化財建造物は、先述の2棟に加えて、横浜正金銀行(現神奈川県立歴史博物館)、大阪市中央公会堂、日本橋、東京駅丸ノ内本屋、三越日本橋本店など、枚挙にいとまが無い。
日本遺産 北木島 石切りの渓谷
1950年代の機械化によって、あたかも「山を切る」ような採石が可能となってからも、石工たちは良質の石を追い求め、下へ下へと深く切り進んでいった。その結果、まるで天空にそびえ立つ断崖絶壁のような丁場が誕生しました。明治25年(1892)に始まり現在でも石を切り続ける丁場は、ついに高さ100mの峡谷となって、そこに立つ者の足をすくませます。
これら備讃諸島の島々を巡ることによって、400年にわたる採石技術の変遷を見聞きし、体感することができます。
石の産地を支えた海運
一見、海によって本土から隔離した島々で、これほどまでに採石が発展したのはなぜか。
それは、海があったからなのです。島々は海によってつながっていました。海こそが、巨大な石を遠隔地まで運ぶために不可欠な「道」だったのです。
千ノ浜の護岸景観(笠岡市北木島町)
丁場から切り出した石を積み出した小さな港。大小の端材を巧みに組み上げた護岸が遺っており、「北木石」の原産地ならではの景観をみせています。
西日本における海上交通の大動脈でもあった瀬戸内海の島々には、海の「道」港町が形成されました。切った巨石を積み出すための産業港は、自然の地形を利用した入り江を物流の拠点にした。小さな積み出し港には大小の端材を巧みに組み上げた護岸が遺っています。
物流施設として、花崗岩を積み上げた石壁の倉庫が、原産地ならではの佇まいを見せ、醤油蔵の前には、醤油しぼりに欠かせない地元石材の重石がずらりと並べられています。
日本遺産 丸亀市塩飽本庄町笠島(港町 香川)
江戸時代、巨石の運搬に塩飽(しわく)の民が携わったことが知られていますが、100トンを超える石を運んだその海運力と優れた操船技術は中世の塩飽水軍にさかのぼります。塩飽諸島は、中世には塩飽水軍、江戸時代には塩飽廻船の根拠地でもあり、幕末、咸臨丸の乗組員を多数輩出する船乗りたちの聖地でありました。
日本遺産 丸亀市塩飽本庄町笠島(港町 香川)伝統的建造物群保存地区
塩飽本島町は、塩飽水軍、塩飽廻船の根拠地として、塩飽諸島のなかで最も栄えた港町の一つであります。三方を丘陵に囲まれ、集落内に網目のように巡らされた狭い道路とこれに取りつく宅地、周辺の山際に配された寺社など、江戸時代以来の町の形態をよく伝えています。瀬戸内筋特有の明るい落ち着いた雰図気に、周囲の自然環境の豊かさも加わって、独特の風情があります。
備讃瀬戸の島々では、街路が屈曲し、十字路を形成しない複雑な町割りを残した集落が見られますが、塩飽の中枢となる本島の笠島地区では、山城のある丘陵に三方を囲まれつつ、狭い道路が複雑に食い違い、見通しがきかない防衛的な構造を示す一方、マッチョ通り(町通り)と呼ばれる主要道路に沿って町屋形式の家屋が建ち並ぶ伝統的な集落が、海の民の経済力を物語っています。
日本遺産「真鍋島」
笠岡諸島の真鍋島では、塩飽水軍と並び立つ中世真鍋水軍の拠点にふさわしく、山城のふもとに防衛的な町割りの集落が展開します。また小豆島の土庄集落は「迷路のまち」と呼ばれるだけあって、地図がなければ方角を見失ってしまいそうになります。
備讃瀬戸の島は、はげ山、岩場、砂浜など変化に富み、花崗岩の地質が露出し景観を形成しています。島の中で山と海が一体となりコンパクトにまとまっていることが、石切りと石の陸運、海運を容易ならしめたのであります。
石と共に生きる
生活文化
備讃諸島の島民は太古の時代より、島に点在する大きな石と共に生きてきました。富と豊かさをもたらす山の巨石は島民の精神文化と結びつき、崇拝と祈りの対象となってきたのです。また、岩肌をくり抜いた山岳霊場などには、おかげにあやかろうとその地を訪れる人が後をたたない。
最盛期、島は石切りから加工、商い、出荷、海運まで石材産業が島内で完結した産業都市として賑わいました。特筆すべきは、石の営みを支える石工たちの生活文化であろう。島の石材産業は富を生み、営みは文化と娯楽を島に遺しました。民家の中につくられた学校の小講堂のような映画館が、昭和期、石工の娯楽のために映画を上映した昔日の賑わいを物語ります。
日本遺産 北木島(石切り唄)
石工たちの労働歌である石切唄、それを踊りとして継承する石節、ハレの日に石工にふるまったという伝統の石切り寿司など、産業を支え力強く生きた石工たちの希有な伝統文化が今も日々の暮らしに息づいています。
さあ、「船」という入口を通って、「島」という非日常の世界へ出かけて行こう。瀬戸内式気候特有の青空と、ゆったりと過ごす時間、海を感じながら石の文化に触れる旅が、あなたを待っています。
[笠岡市]
日本遺産 北木島 桂林
日本遺産 北木島(北木のベニス)
瀬戸内備讃諸島の花崗岩と石切り技術は長きにわたり日本の建築文化を支えてきました。島々には、400年に渡って巨石を切り、加工し、海を通じて運び、石と共に生きてきた人たちの希有な産業文化が息づいています。2019年、日本遺産に認定されました。
日本遺産 北木島 サイクリングロードは島内の名所を眺められるようにつくられている
日本遺産 笠岡諸島の夕日(飛島)は青い海を黄金色に焦しながら暮れていく・・・
浜辺には時を惜しむ人たちが、いつまでも~動こうとはしない、さざ波の音だけが…
2019年5月に認定された日本遺産「知ってる!? 悠久の時が流れる石の島〜海を越え,日本の礎を築いた せとうち備讃諸島〜」のシンポジウムを開催します。
[日 時] 令和2年2月22日(土) 13:00~16:00
[場 所] 笠岡グランドホテル 銀杏の間(岡山県笠岡市五番町6-20)
[参加方法] 専用フォーム https://ishinoshima.site/entry/ からお申込みください。
[参加費用] 入場無料
[お問合せ事務局] TEL:086-225-9115
[プログラム]
12:30~ 開場
13:00~ セレモニー 「みなとオアシス笠岡諸島」登録証交付式
13:15~ アトラクション 石節(日本遺産構成文化財)
13:30~ 基調講演
演 題 「日本遺産の可能性と地域活性化」
講 師 丁野 朗 氏(日本遺産審査委員)
14:20~ 先進地事例報告
テーマ 「御食国若狭と鯖街道の取り組み」
講 師 下仲 隆浩 氏(小浜市教育委員会文化課主幹)
14:50~ アトラクション 北木島石切唄(日本遺産構成文化財)
15:00~ パネルディスカッション
テーマ 「備讃諸島の活性化に向けて」
コーディネーター 丁野 朗 氏(日本遺産審査委員)
パネリスト
下仲 隆浩 氏(小浜市教育委員会文化課主幹)
鳴本 太郎 氏(笠岡市 K's LABO代表)
高木 智仁 氏(丸亀市 古民家リノベーション)
丹生 兼宏 氏(土庄町 土庄町商工会長)
川宿田 好見 氏(小豆島町 学術専門員)
16:00~ 閉会挨拶
交通アクセス
鎹八咫烏記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話(代表)03(5253)4111
笠岡市役所 商工観光課 〒714-8601 笠岡市中央町1番地の1 Tel:0865-69-1177
公益社団法人 岡山県観光連盟〒700-0822 岡山県岡山市北区表町1-5-1
岡山シンフォニービル2階 電話 086-233-1802
笠岡市観光連盟 〒714-8601 岡山県笠岡市中央町1番地の1 TEL 0865-69-2147
小豆島観光協会 〒761-4434 香川県小豆郡小豆島町西村甲1896-1 TEL:0879-82-1775
大阪観光局 〒542-0081 大阪府大阪市中央区南船場4丁目4−21りそな船場ビル
電話: 06-6282-5900
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。