新型ウイルスで「都市封鎖」という中国の政治体質
「武漢肺炎」をめぐる人類史的考察②
武漢発の新型コロナウイルスの感染拡大について、WHO世界保健機関は「アウトブレイクOutbreak」 だとは言うが、パンデミック(Pandemic感染爆発)とは決して言わない。しかし中国の病院の現状や街の風景を見たら、もはや感染爆発だというしかない様相を呈しているのは明らかだ。
中国国内における新型コロナウイルスによる死亡者は2月17日現在、1770人、感染者は7万548人だとしているが、そうした数字の中に、病院に行ってもまともな診療が受けられず、病院の廊下に無造作にころがる死体、あるいは病院での感染や隔離されることを恐れて自宅に留まり重症化するケース、また、街の風景を撮したドライブショットの映像に映り込んだ、歩道上の明らかに死体だと思われる映像、そうした犠牲者も反映された数字なのかは誰も分からない。
報道によると、中国政府は、ウイルスの発生源となった武漢など湖北省地域を含め12の省の76都市(2級行政区域以上)を、封鎖する措置をとった。中国の人口14億人のうち、30%に当たるおよそ4億人の移動が制限され、ターミナルや駅が封鎖されて都市への出入りも阻止されている。また14日間の自宅隔離、外出禁止令など、事実上の移動統制措置を打ち出す場所が増え、買い物のための外出も二日に1回、家族一人だけとされている。
そうしたなかで、首都北京でも旧正月(春節)の連休明けの2月第1週が過ぎても、通りには人の姿はほとんどなく、車もほとんど通行していない、まるでゴーストタウンのような風景になっている。どこもかしこも溢れかえる人の波、その数の多さに圧倒されてきたかつての中国の姿と比べて、その違いは歴然としていて、中国らしからぬその風景は、かえって不気味というしかない。
そもそも都市を封鎖するというのは、中国はここ何千年間、平気でやり続けてきたことだ。それを「屠城」とよぶ。古い中国の街は四方が高い城壁で囲まれ、東西南北にある門で外部と繋がっていた。つまり、この東西南北の門を押さえ出入りを禁止することで街を封鎖し、街ごと燃やしたり兵糧攻めにしたりして住民を皆殺しにする、つまり「屠城」ができたし、逆に街の住民側は敵の襲来を前に、門を閉ざして立てこもることで「籠城」戦に持ち込むことができた。
武漢の人口は1100万人で、それほどの大都市を封鎖するなんて不可能だという人もいるが、100万人レベルの都市なら過去に長期間の封鎖事例がある。1943年のドイツ軍によるレニングラード攻防戦であり、1947~8年の中共軍による長春包囲作戦だ。
旧満州の首都長春(新京)をめぐる国民党と共産軍(八路軍)との攻防は、中共内戦の死命を決する戦闘となった。このとき10万の中共軍は、長春の街を二重の鉄条網で完全に封鎖し、1947年10月から1年にわたり、10万の国民党軍とともに一般市民を閉じ込めた。この「長春包囲戦」は、ドイツ軍によるレニングラード包囲戦と比較されるほどの規模とも言われる。このとき、毛沢東は東北軍指揮官の林彪に対し「長春を死城たらしめよ」と命令。電気、水道、ガスの供給を切断し、飛行機による食料投下もできなくなった半年間は、完全な兵糧攻めとなった。
当時の長春市の人口は、周辺からの避難民を合わせて80万~120万人と推定されるが、包囲が解かれた時の市内の人口はわずか17万人。餓死者の数は、30万人(遠藤誉著「「卡子(チャーズ)中国建国の残火~封じられた中国建国史の闇~」)とも80万人(龍應台著「台湾海峡1949」)とも言われるが、誰も正確にはわからない。
このように都市封鎖(「屠城」)は、中国にとって古くからのお家芸のようなものだが、今回の武漢閉鎖についていえば、その実行はあまりにも遅すぎた。人口1100万人の武漢市民のうち500万人は旧正月春節の休暇に合わせて、市外・国外に脱出したあとだったといわれる。都市封鎖の実行が遅れた原因は、前回のブログでも触れたように、習近平をはじめとする中央指導部の判断ミス、隠蔽があったのは間違いない。
春節を前に武漢から関西空港に到着した中国人女性が、取材のNHKカメラに対し「日本には申し訳ないが家族の安全と健康のために武漢を脱出するしかなかった」と語っていたのが印象に残っている。ウイルスが蔓延する危険な都市からは一分でも早く脱出したいというのが、彼らの正直な気持ちであり、日本政府が湖北省からの渡航を禁止する前に、そういう人たちが大量に日本に入り込み、自由に動き回っていた。それが今、中国への渡航歴もなく中国人との接触もなかったにも関わらず、各地で見つかっている日本人感染者の原因なのだ。
ところで、現代人は、街を封鎖され外出を制限されても、インターネットさえ繋がっていれば、買い物で外出する必要もなく、他人と不必要な接触をすることもなく、日常生活を営むことができる。朝昼晩の食事の出前も、衣類や家電、日用雑貨もネットで注文し即日配達してもらえる。何よりネット通販、オンラインショッピングのほうが安くて手っ取り早く入手することが可能だ。配達の人と接触したくなければ、玄関ドアの前に商品を置いていってもらったり、アパートの管理人室に預かってもらったりすることもできる。つまり、現代人は、社会から完全に孤立し、デジタル空間のなかだけで暮らして行こうと思ったら、それでも実際に生きていくことは可能だということを意味する。
中国では新型コロナウイルスの蔓延で、市民の外出が制限され、買い物のための外出は2日に1回、一家に一人に限ると規制される都市が増えている。しかし、中国のような完全なキャッシュレス社会、デジタル決済の仕組みが進んだ社会では、実はそうした規制があっても少しも困らない。そのことを、今回の新型ウイルスの蔓延は図らずも示すことになった。
しかし、相変わらずの情報統制で、中国国内の状況を撮した映像が、SNSで拡散されることについては、厳しい取締りが行われているようだ。そうした中で国外に流出した、あるいは旅行者によって持ち出された映像を見ると、驚愕、衝撃の場面が映し出されている。
例えば、TAROchというYouTube動画で2月7日に紹介された<武漢・広州市内の様子。日本では考えられない衝撃映像in 中国>という動画では、次のような場面が映し出される。
武漢も広州も市内の通りにはほとんど人通りがなく、デパートの中もほとんど店はシャッターを閉め、営業していない。営業しているファーストフード店もマスクなしでは入ることはできず、人を介さない店のタッチ式パネルでの注文しか受け付けない。バスや地下鉄もマスクをしていない人は乗車を拒否され、それに抵抗すると暴力的に無理やり車内から引きずり降ろされる。マスクをしていない乗客が文句を言ってバスから降りるのを拒否すると、警察官が消毒液のようなものを乗客の顔に向けて噴射し、数人の警察官が乗客を地面に押し倒して押さえつけ、手錠をかけ連行するシーンもあった。
病院にやってきた人々が、いきなり隔離病棟に収容されることになり、それを拒否して抵抗すると、防護服の病院スタッフが両脇を抱えて連行し無理やり隔離収容したり、病院についた救急車から患者が両手両足を掴まれて運び出され、強制的に入所させられたりするシーンもあった。十分な説明も説得もなく有無を言わせず隔離措置を執られる患者にとっては、二度と生きては帰れぬ「アウシュビッツ」行きと変わらないのかもしれない。強権的で、個人の意志などどうでもいい、人権無視の手法が相も変わらずまかり通る世界が中国であることを再認識させられる。
広州市内の地下鉄は、普段の混み具合は見られずまったく閑散としていて、乗客も全員がマスクをし、乗客同士も互いに距離をとり、あまり近づき過ぎないように行動しているほか、1時間ごとに車内の消毒が行われているという。そのため、外国人滞在者のリポートでは中国は今、公衆衛生的にはもっとも清潔な場所ではないか、というリポートもあった。
しかし、公衆道徳という面では、目を疑うような映像もあり、中国人の民度を改めて疑いたくなる場面もあった。それはエレベーターのボタンによる接触感染を恐れて、エレベーター内にはティッシュペーパーの箱が置かれていて、そのティッシュペーパーを手にとって行き先階を示すボタンに触れるようになっている。しかし、そのティッシュペーパーで鼻をかみ、使ったあとの紙でエレベーターのボタンに触れたり、なかにはティッシュペーパーに自分のつばをつけ、それをわざわざボタンになすりつけたりするシーンまであった。そうして使ったあとの紙はエレベーターの床にそのまま捨てるものだから、エレベーターのなかはティッシュが床に散乱するゴミ箱状態で、衛生状態は却って悪くなっている。エレベーターのボタンを介した接触感染は、2003年にSARSの感染拡大が香港で最初に発生するきっかけになった事実が知られているだけに、エレベーターのボタンに直接触れたくないという心理は十分に分かるのだが、こんな公徳心のなさを見せつけられると、中国ではエレベーターにも気軽に乗れないと考えてしまう。
人間は極限状況に追い込まれると、その隠れた本質をさらけ出すこともあるが、今回の新型コロナウイルスの猛威は、中国人の持つ貧しい品性を世界に晒すことにもなったようだ。