ロシア帝国の道2-ロシア専制と農奴
2020.02.15 11:24
1558年ロシアのイワン4世雷帝は、ストロガノフ家にシベリア開発を許可した。欧州と通商するようになり毛皮の需要が急増したのである。原住民との摩擦は大きかったが、ロシアの歴史にとって重要な出来事であった。さらに彼はバルト海への出口をめざしてリトアニア大公国と戦争をする。
これに対してリトアニアは、ポーランドと連合して対抗し、69年には両国は合同し北の強国が誕生、そしてポーランドの影響がリトアニアに及ぶようになる。現在のウクライナの複雑な問題もこの歴史が大きく影響している。この戦争にはスウェーデンも介入し、こう着状態に陥った。
長引く戦争に、雷帝は貴族達の信頼を失っていき、最愛の妻アナスタシアを亡くした後は、残虐な面を見せるようになった。64年突如モスクワを離れ、退位を表明。彼は貴族と聖職者を攻撃する手紙を送り、その内容を知った民衆はモスクワで貴族や聖職者の館を包囲し、ツァーリに帰還を要請した。
帰還した雷帝は、自分に逆らう者を容赦なく処刑する恐怖政治を行った。ノブゴロドが灰燼と帰し、農村は疲弊した。そして農民の脱出を止めるために、雷帝は農民の自由を奪い、厳しく収奪する。ロシア特有の農奴制度はこうしてできたのである。
下は復帰し専制宣言するイワン雷帝