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ダンス評.com

横浜ダンスコレクション・ダンスクロス:ジュゼッペ・キコ& バルバラ・マティアヴィッチ「FORECASTING」/ 田村興一郎「MUTT」横浜にぎわい座 のげシャーレ

2020.02.15 17:14

横浜ダンスコレクションの公演「ダンスクロス」は、コンペティションI「若手振付家のための在日フランス大使館賞」受賞者と、フランス拠点のアーティストによるダブルビル(アンスティチュ・フランセ日本とのパートナーシップにより開催)。


■ジュゼッペ・キコ& バルバラ・マティアヴィッチ「FORECASTING」

イタリア生まれのキコ氏、クロアチア生まれのマティアヴィッチ氏による作品。

YouTubeに投稿された素人の動画を編集した映像をノートPCで流し、女性ダンサーが映像と一体化した動きなどを繰り広げる、ユニークでシニカルな舞台だ。

例えば、機械をいじる動画で、映し出される手が等身大になるように編集してあり、ダンサーがPCの後ろにいて、まるで映像の手が彼女自身の手であるかのように動く。手だけではなく、顔や、足の場合もある。

動画の声や音を流すこともあるし、ダンサーが肉声で話すこともある(言葉はほぼ英語、動画の音声では1回だけわずかにおそらくスペイン語、日本語字幕が舞台の上に映写される)。

男性のひげそりから女性の化粧へ、性的なグッズを紹介する動画と料理の動画、動物になめられる人から、男性に足をなめられる女性、など、組み合わせ、連想の妙がさえる。

ダンサーは映像の背後で、なめられる人になったり、なめる人になったりする。銃を撃つ人になったり、撃たれそうになる側に立ったりもする。立場の交代。

途中で、ダンサーがPCに、「白」「青」「赤」などと色を告げ、画面が言われた通りの色を映し出す場面もあった。ダンサーはPCを「Good girl.(いい子ね)」と褒め、PCは犬の映像を映し出し、今度は犬を「Good boy.(いい子ね)」と褒める。

最後の方で、心が落ち着くこととして、森の草をなでることを挙げ、動画が流れる。動画の手が自分の手であるかのようにPCの後ろで手を動かすダンサーは本当に気持ちよさそうで、木漏れ日のような光や草を触る感触、ちょっと湿った匂い、そよぐ風、木々が揺れる音や鳥の声などが、まるで観客にも感じられるようだった。

圧巻は、ラスト、パチパチと火が燃える暖炉の映像が流れるPCを床に置いてダンサーは去り、照明が落ちて、PCの画面だけは明るく輝いた瞬間。本当にそこで暖炉が燃えているようで、実際に「暖かさ」を感じた(!)。PCの画面が消えた途端、その温かさは消えた。魔法のような不思議な体験だった。

思わず笑ってしまう楽しい作品だが、風刺が込められていると思う。インターネット上にはあらゆる動画があり、あらゆる人、動物、自然が動画の中に「存在」している。動画と現実との関係はどうなっている、どうなっていくのか?一見、関連のなさそうな事柄に実は共通項があり、攻撃していたはずなのに、いつの間にか攻撃される側に回っている、など。

動画を編集した手腕も、動画に合わせた動きも、緻密で賢く、優れている。日常から足を踏み外して落っこちてしまったような世界に迷い込める作品。 

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「FORECASTING」(日本初演)

コンセプト:ジュゼッペ・キコ、バルバラ・マティアヴィッチ

出演:バルバラ・マティアヴィッチ

映像:ジュゼッペ・キコ

テクニカル:ヴィクトール・クラスニック

制作:マリオン・ゴヴァン

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■田村興一郎「MUTT」

15分の休憩の間、観客は「演出の都合上」、ロビーで待つよう指示される。

上演前に中に入ると、舞台には黄色やオレンジっぽい粉が巻いてあり、天井からつるされた濡れたタオルから舞台上に水がポタポタ落ちたりしている。ダンサーは舞台で横たわっている。

最後の場面以外は音楽はなく、最初はゆっくりと動いていく。腕を固めたように動かさずに「不自由」な感じで動いたり、もどかしそうに顔を「ゆがめ」、「声が出ない」様子だったり、這って移動してズボンが脱げ、下着姿になったり、黄色い粉を口から吐き出したり(匂いから判断するに、きな粉?)。徐々に「自由」に動けるようになっていく。最後は曲が流れ、赤い照明で動く。

ダンサーはテープで「目隠し」をしている。

20分か30分ほど、ずっと音楽なしで、いかにも踊りらしい動きもなしで、観客の注意を引き寄せられ続ける力量はすごい。

しかし、、テープでの目隠し、腕など体の一部を固定して動けなくする、顔をゆがませるが声が出ない、などに、障害のある人への揶揄のようなものを感じてしまうのはなぜだろう?身体や人間そのものの尊厳をおろそかにし、尊重していないように見えてしまうのはなぜだろう?

例えば、勅使川原三郎氏は、ロボットのような、また「まひ」している身体のようにも見える動きをダンスに取り入れている。でも、今回の作品に感じたような「嫌な感じ」はせず、むしろ崇高な感じすらする。

田村氏は「ダウン症のこどもにダンスを教える」(本公演のパンフレットより)活動なども行っているらしいが、今回のダンスで覚えたこのざわつく違和感は何なのだろうか?私の中の何らかの偏見や差別意識の問題なのだろうか?よく考えてみた方がよさそうだ。

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「MUTT」

振付・出演:田村興一郎

協力:フランス国立ダンスセンター(CND)「ダンスの天地」実行委員会

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2.14 [fri] 18:00/2.15 [sat] 16:00/2.16 [sun] 16:00