裏本謙志と2020年オリンピック
裏本謙志はオリンピックの実感がない。2020年と言えば東京オリンピックですが、オリンピックは1964年のイメージが強いです。もちろん東京で開催されるオリンピックという意味です。
別に自分が生きていた訳ではないのですが、やはり映像で見る東京オリンピックは高度経済成長の真っ只中に開催されたオリンピックというイメージが強烈だからだ。
それと引き換えに2020年のオリンピックはどうだろうか?高度経済成長期ではないので、若い世代は特に白けたムードが蔓延していると感じるのは、主観的な意見だろうか?と裏本謙志は疑問を感じることがある。
もちろん、特定の競技に直接参加する選手にとっては、滅多にない地元(厳密には自国になるのだろうか?)開催であるからには、感慨深い大会になるのだろう。
しかし、東京オリンピックに限らず、オリンピックでは膨大なコストがかかるのだ。
コスパ重視を目下、重要視する世代にとっては経済効果を感じることができないイベントには価値を感じることは難しいのではないか?と常々考えている。
当然ながら膨大なコストがかかるオリンピックは招致から含めて、国が中心となって、経費をどんどん投入している。国立競技場のコスト感に対して、批判的な意見もあったが、今ではそんなことも報道されることがない。
結局は借金だけが残って、オリンピックの経済効果は2020年だけで終わりになりそうな感じも否めないと裏本謙志は思う。
もちろん、オリンピックが開催された資源を通じて、観光客を海外から誘致することで、今後も経済を支えていくことは狙いだろう。しかし新型コロナウイルスの影響で中国からの観光客が激減したことで、大きなダメージを受けていることを考慮すると、安易に観光立国で経済を回すことに依存することは大きなリスクである。
よくある話だが、よく会社の決算で発表があるように大口顧客の予算減少や撤退によって、黒字予定の決算が大幅な赤字に転落することはよくあることだ。リスクに対して甘い認識でいることは企業に限らず、個人でも国家単位でも大きなリスクであることは認めざるを得ないと裏本謙志は思うのである。