北朝鮮を「鎖国」に追い込んだパンデミック兵器
「武漢肺炎」をめぐる人類史的考察③
ヒト、モノ、カネが自由に国境を越えて行き交うことを本質とするグローバリズムの現代世界にあって、新型コロナウイルスの蔓延は、中国や朝鮮半島、東アジアや欧米も含めて多くの国と地域を、まるで近代以前、古代中世の閉鎖社会、孤立社会に戻ってしまったようだ。
多くの国が、中国を渡航中止あるいは渡航自粛国に指定し、湖北省あるいは中国大陸からの不要不急の旅行客の入国を禁止している。
欧米の主要航空会社は中国と結ぶ路線の運航を中止し、アジアの多くの国の港湾当局はクルーズ船の寄港を拒否している。
中国国内では70以上といわれる都市で都市封鎖が行われ、住民は不要な外出や遠距離移動が制限されているほか、村や街の境界、街区(社区)ごとに検問所をつくって部外者の立ち入りを禁止し、出入りする住民の検温を実施している。北京市は旧正月の連休明けで戻ってきた出稼ぎ労働者や地方出身者に対して、職場に出勤するまで14日間の自宅謹慎を義務づけている。
自分たちの地域は自分たちで守る、まるで映画「七人の侍」のような世界が現出している。それぞれの国や地域で、エゴむき出しの閉鎖社会づくりが進み、近代社会が築いてきたグローバリズム経済だの地球市民などという理念は、どこ吹く風という雰囲気だ。
2003年のSARSでも痛い目にあっている香港では、医師や看護婦など2500人が香港と中国の境界閉鎖を求めてストライキを行った。彼らのスローガンは「封関救港(国境を閉じて香港を救済する)」だという。去年、香港で吹き荒れた市民デモのスローガン「光復香港、時代革命(香港を元に戻す、革命の時だ)」も、いま「康復香港、時代抗疫(香港の健康を取り戻し疫病を抑える時)」に変わっているという。しかしSARSが香港で猛威を振るったときでも、中国との境界を閉鎖しろという議論はなかったと記憶する。
もう一つ、中国と国境を接する国、北朝鮮は完全な鎖国体制に入っている。新型コロナウイルスの中国での蔓延という事態を受けて、北朝鮮が、中国人観光客の入国を禁止したのは1月20日だった。22日からは中国やロシアを経由した全ての外国人観光客の入国を禁止した。31日までには北京やウラジオストクと平壌を結ぶ高麗航空の航空便と貨物列車の運航を停止した。開城(ケソン)にある韓国との南北共同連絡事務所も閉鎖し、開城に駐在していた韓国側職員60人もすべて撤退した。
こうした国境閉鎖措置がどれだけ迅速かというと、韓国が武漢を含む湖北省に滞在した外国人の入国を禁止したのは2月4日午前0時からだったので、北朝鮮の対応は韓国より半月も早いことになる。
ところで北朝鮮国内の感染状況について、WHO平壌事務所は、感染者が発生したという確定的な情報は受けていないとして、感染者はゼロという北朝鮮当局の発表をそのまま伝えている。
しかし、北朝鮮国内で放送されているニュース映像(KBS WORLD RADIO 02/13“WHO CLAIMS NO COVID-19 PATIENTS IN N. KOREA”)をみると事態はもっと深刻なように見える。病院内の医療スタッフは全員、頭から全身を覆った防護服とゴーグルをつけ、フル装備の防備体制をとっている。入場制限が行われている平壌駅では、同じく完全装備の防護服で身を固めた作業員が、駅構内や列車の通路や手すりなどの徹底的な消毒作業をしている。感染者がゼロなのに、映し出される映像を見れば、どうしてそこまでと思われるほどの徹底ぶりで、その理由が分からない。さらに異様なのは、金才龍(キム・ジェリョン)首相が出席した会議の席で、首相をはじめ会議出席者の全員がマスク姿という異様な写真が公開されていることだ。こうした姿をあえて見せることにどういう意味があるのか。国民への警戒の呼びかけか?それとも金正恩に見せつけるジェスチャーだろうか?
ところが、李相哲龍谷大学教授によると、感染者ゼロという公式発表とは違って、2月初めの時点で、感染の疑いがある人は452人、感染が確認された人が23人で、義州の病院に隔離されているという情報があるという。(李相哲TV「新型肺炎に怯える北朝鮮、国境全面封鎖にも穴?」2020.2.3)
また平壌でも感染者一人が発生しているという情報もある。中朝国境は1400キロに及び、中国人観光客は国境を越えて大勢往来しているため、彼らを通じて新型ウイルスが入った可能性は十分ある。
医療体制が未整備な社会では、どこかで感染者が発生したら、そのあとの感染拡大防止やウイルスの封じ込めは容易でない。医療体制や防疫システムが未熟な後進国は、一度ウイルスの侵入を許し、防疫に失敗したら、一挙に社会の崩壊まで招きかねない。いち早く国境の閉鎖を決断した北朝鮮の最高指導者はそこまで恐れたのかもしれない。
その前例となる事態がつい最近、起きていた。去年中国で蔓延したアフリカ豚コレラが北朝鮮にも波及して猛威を振るい、ついには軍事境界線を越えて韓国側にも伝播した。北朝鮮側では有効な防疫対策が採られた形跡が全くなかった。韓国側が防疫で共同対処を呼びかけても、北朝鮮は無視し続けた。
国連の経済制裁が続く中で、今回の国境閉鎖は、北朝鮮が自ら決断し実行した措置だ。しかし、国内の自由市場は中国の物品で成り立っていて、中国からモノが入らなければ、一般の人たちの生活必需品は途絶えてしまう。国連制裁の下でも、北朝鮮を支え続けてきたのは原油の提供など中国からの支援だった。それを自ら閉ざしたのである。平壌でも一日数時間しか電気の供給がなく、市民は寒さに震えている。中国での新型コロナウイルスの感染拡大がいつ収束するのか見通すのは困難だが、北朝鮮の国境封鎖が長期化し、中国からの物資の提供が途絶えたら、人々はどう生活を維持するのか。さらに金正恩の権威は外貨を獲得し、そのパイを分け与えることで裏付けられてきた。外国との取引きを停止して、どうやって外貨を手にすることができるのか。
しかもここに来て、金正恩をめぐる不穏な情報が盛んに囁かれている。去年年末以来、重病説が流れ、毎年恒例の「新年の辞」が発表されなかったほか、2月8日の人民軍創建記念日の軍事パレードも行われなかった。コロナウイルスの感染者がゼロなら、堂々とパレードを見せつけ、むしろ安泰をアピールすればいいのに、それをしなかった。1月25日、金正恩は、演劇鑑賞の席に、毒殺されたとも噂されていた叔母の金敬姫(キム・キョンヒ)を伴って姿を現したが、本人は足もとが覚束ないほど衰弱していたとか、そもそも影武者だったとさえ言われている。コリア国際研究所の朴斗鎮所長によると、金正恩の親衛護衛部隊974部隊には、1万人の兵士がいるが、その中には「影武者」を養成する部隊があるという。
その朴斗鎮所長は、ここ最近の北朝鮮情勢について「長年、北朝鮮をウォッチしてきたが、これだけ異常兆候が一気に表面化するのは、かつてないことだ」と言い、金正恩体制の今後を危険視する。(李相鉄TV2月15日)
北朝鮮における新型コロナウイルスの拡散状況は、金正恩体制の崩壊を早めることにつながるかもしれない。
(ここまで書いてきたところで、金正恩は2月16日の父の金正日総書記の誕生日に錦繍山太陽宮を訪れたと報道された。また1月7日に狭心症の手術を受けたという情報もある。存在自体があやふやな指導者を仰がされる国民も哀れだ。)
ところで、北朝鮮がこうした鎖国状況にあるにも関わらず、韓国の文在寅大統領は、相変わらず北朝鮮への個別観光旅行の解禁について言及し、外交部は南北経済交流や鉄道・道路の連結を急ぐためアメリカとの調整を行っているとしている。いずれにしてもコロナウイルスの問題が発生するずっと前の去年半ば以降、北朝鮮側は韓国と交渉さえ拒否しているため、実現可能性はまったくない。韓国政府の状況認識は相当いい加減だ。