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物語のはじまり

2020.02.16 08:11

2020年2月16日

伊藤大輔牧師  

創世記37章1-12節  

キリスト者とは何か。

キリスト者とは聖書の物語を信じるもの。


今日からヨセフ物語を読み始める。

ヨセフ物語の何を信じるのか。  


ヨセフは他の兄たちと比較しヤコブから寵愛される。

ヨセフはヤコブの愛する妻ラケルとの間の最初の子。

特別視するのにはそれなりの理由はある。

だが、それは子どもたちにとっては理不尽な理由。

兄弟とヨセフとの間で確執が生まれる。  


弟が父親から愛される。

それで、どこの家でも争いが生まれるわけではない。

兄たちも一緒になって弟を愛することもできたはず。

この家ではなぜそれができないのか。  


カインとアベルの物語。

神に認められた弟を兄が殺害をする話。

カインや、ヨセフの兄たちに何があったのか。

 愛されたい。

父から、神から、

愛されたい。

それが自分には十分になされない。

弟に愛が奪われている。


ここで怒る彼らの心をもう一歩、堀下げる。

なぜ愛が欲しのか。

愛に執着、固執をする。

それがないと生きてけないと思うから。

そこには自己理解がある。

私は生まれた時から足りないものを持っている。

私は不十分。  


「お前には欠落したものがある」

「お前は足りないものを補え」。

蛇の言葉。

蛇の言葉にヨセフの兄弟たちも踊らされている。  


蛇の言葉に踊らされているのは兄弟ばかりではない。

ヨセフは父に告げ口をする。

夢を見るという特別な能力。

ヨセフはこれを兄たちを見下すものとして用いる。

すなわち父の愛を確保しておきたいと願っている。


ヨセフの夢。

物語の最後、

この夢は実現する。

噓偽りでなく、真実を語っている。

真実までの間、

ヨセフは苦難を体験する。


言葉が真実になる。

創世記1章、神の語られたものが全て実現する。

神はこの世界を「良し」と言われる。

噓偽りは語っていない。  


本多記念教会、会堂建築。

実現するだろう。

だがどうして苦しまなければならないのか。


何かにすがっているからではないのか。

執着、固執で物事が進められると思っているからでないのか。  


嘘偽りでないヨセフの夢が実現するまでこの家族は辛酸をなめる。

蛇の言葉、

執着、固執に負けた人の心は、

苦難を味わう。


主イエスは十字架にかかられるほどに、

自らの命にすら固執しなかった。

固執せずに、固執しないからこそ、

永遠の命のあることを人の世に表した。


人は何も足りないものはない。

命すら足りなくなることはない。

そのように人は造られている。  


ヨセフ物語はヤコブの家が人の誠の在り方を見出す物語。

この物語は私と重ねることができる私の物語。

聖書の物語を信じる。

家族の歩みはやがて夢を真実にする。

その物語を私たちも歩んでいる。