文章てらこやと、その夜のこと。
今回は、初めて書評ではない文章をブログに載せることになる。
2/15〜16で、センジュ出版さんで「文章てらこや」という、文章講座を受講してきた。
センジュ出版の社長で、編集者でもある吉満さん自ら、文章の書き方を様々なテーマで教えてくれ、その場で参加者が書いた文章を添削し、掘り下げてくれるというものだ。
参加者は僕ともう一人、京都から来た女性。『しずけさとユーモアを』を読んで、来たという。
凄い行動力だ。京都から人を呼んでしまう吉満さんの本にも、相当な引力がある。
文章の書き方を、小論文対策以来初めて習った。これまでのブログは我流であった。様々な本を読み、感じたままのことを、自分にとって気持ちの良い言葉で、簡潔に記す。それだけのことだった。
二日間を通して、編集者という職業が、想像以上に相手の話を引き出す力に長けている事に驚いた。
テレビのインタビュアーさながら、もしくはそれ以上に、聞いて欲しいこと、聞かれて実はそこに目を向けて欲しかったことに気づくようなことを、的確に、掘り下げてくれる。心のドアを開いて真っ向からぶつかり合う、真剣勝負の時間が心地よかった。ああ、この出版社で本を出すということは、このやりとりを果てしなく繰り広げられるんだなと思うと、センジュ出版の著者の皆さんが羨ましくなった。
文章を書くことで、自分と向き合うこと。飾らず格好つけず、心のまま出てくる言葉を吉満さんは褒めてくれる。どれだけ巧みな言葉選びでも、その人の本当が書かれていない文章には丸を付けないでくれる。それがどれだけ安心することか。文章の美醜でなく、その言葉が心から出ているかを大事にする吉満さんだからこそ、手がけるセンジュ出版の本は優しく、人の心の底まで染みこんでいく。
文章を書くのを仕事にしていたり、書くことを趣味としていたり、言葉にする必要に迫られている人はもちろん、全く書く機会も、必要も無い人にも、この講座はおすすめできる。なぜか。自分の心の奥底にある物を発掘し、自分がそれを把握しておくことは、何よりのカウンセリングになるからである。
文章を書くことがこれほどのセラピー効果を有していようとは、参加するまでそれほど自覚していなかった。日記を書くと落ち着く。人に話すと落ち着く。そんな経験がある人もいるかもしれない。感覚としてはそれに近い。知らず知らず鍵をかけて、鎖で巻いて心の奥底に沈めてしまった、その感情を掘り出すことは辛い行為かもしれないが、自分の中の弱さを改めて認めて受け入れるって、結構すがすがしい気分になるものだ。
文章てらこや、かなりおすすめである。吉満さんは、プロだろうが素人だろうが、我々一人一人の中にある物語を信じてくれる。そんな人に書き方を通して自分の心の整理の仕方を習えるって、とっても豊かなことだと思う。
16日の夜、僕のわがままで、一人の後輩を吉満さんに紹介させて頂いた。
あとめでぃ代表、小林ひかりさんだ。先週水曜に飲んでいたときに、彼女の相談を受けて、ふと頭に浮かんだのが吉満さんの顔だった。忙しい中申し訳ないな、病み上がりで大変な時期だろうな、と思いながら、駄目で元々の精神でメッセージを送らせて頂いたところ、まさかの快諾を頂いた。
そんな中での居酒屋での対談、想像以上に吉満さんはひかりちゃんの話を受け入れてくれ、紹介した僕もびっくりするくらい褒めてくれた。彼女が凄い、とても素敵なものを生み出そうとしているのは知っていたし、凄く良いと思っていたけれど、それが他業種の人生の先輩から改めて肯定して貰うというのは、とても素敵な経験だった。僕まで誇らしくなった。
センスの良い若者は身の回りに結構いる。現場に身を投じて、現場の現状の厳しさや、現在あるものを継承しなくてはならないという目先の多忙さに、いつしか輝きを失ってしまうところが、勿体なく感じていた。
吉満さんは、45年の人生分の重みで、ひかりちゃんが目指すアート×医療という世界を、全肯定してくれた。
自分の人生に与えられた課題に向き合い、他の誰でもない、自分にしか出来ないことを目指すというのが、天命を知るということである。森信三が言うところの、「封書を開ける」ということである。
遅かれ早かれ人はその封書を開けることになる。それは文章てらこやで伝えるところの、自分の物語を生きることにつながっていく。
ひかりちゃんは21歳という若さで、その封書を、開けた。
奇しくも、文章てらこやの後の時間で、吉満さんが伝えてくれた事の実例に触れることになった。
学びと実感が同じ日に訪れる、とても豊かな一日だった。
↓吉満明子さんのセンジュ出版と、文章てらこやのサイト
下は文中に出てきた、小林ひかりさんのブログ
P.S.今回のことも2回分の記事にしてくれました。二編の文章が、僕の宝物になりました。