「札幌市東苗穂土地区画整理組合事業誌」碑。
(あしあと その865・東区の32・伏古の2)
伏古7条2丁目にある伏古記念会館の敷地の一角に、黒御影でできた石板の碑と巨大な自然石でできた石碑が建てられています。自然石の碑面には、大きく「新しき伏古の街 いま〇〇〇〇 昭和五十一年六月 五十嵐竹治書」と刻まれています。
黒御影でできた石碑の碑面には、
「札幌市東苗穂土地区画整理組合事業誌
この地ははじめ庚午一の村と称し札幌では元町に次いで早くより開拓されたところのち苗穂村となり札幌村の大字に属し昭和三十年札幌市村合併により東苗穂町と改められた
開拓以来百余年先人たちの血と汗のにじむ艱苦によって拓き培われわが国玉葱栽培嚆矢の地としての誇りを秘めて静かに息づく農村であった
近年札幌市の急激な発展に伴い都市化の波は遂にこの豊饒肥沃な農地にまで及ぶに至ったことにより無秩序な宅地開発による住環境の低下で憂うる有志相謀り明るく住みよい街づくりのため札幌圏都市開発札幌市東苗穂土地区画整理事業として組合施行によりこれを実施することに決し昭和四十五年十一月北海道知事の認可を受けた
尓来六年有余組合員一同はこの事業を第二の開拓になぞらえて先人苦闘の開拓者魂に負けない心意気をもって深い理解のもとたゆまぬ協力により事業を推進し昭和五十一年五月工事完了と共に換地処分を行い新たに町名も母なる川伏古の名をとり条丁目地番を整え住居表示整備事業を実施してここに事業の完成を見るに至った」
刻まれています。
碑の背面には、
「組合設立 昭和四十五年十一月二十八日 組合員 五一六名 施行面積 九五五、四五八平方米 道路 二二六、三二五平方米 公園 三七、三三一平方米 宅地 六九一、八〇二平方米 換地処分 昭和五十一年五月三十一日 総事業費 二十二億三千万円」
に続けて、「理事長」、「副理事長」、「理事」、「監事」、「評価員」、「総代」の多数の氏名が刻まれています。