感謝の習慣
20代前半の頃は、よく子供たちの個別指導を担当させて頂くことがありました。
その多くが社長の息子たちです。
光栄と思っていた20代前半の頃もありましたが、次第に異なる見解を持つようになっていきました。
社長は多くの仕事をこなし、当然 20代前半の私が捉える「1時間」は社長の「1時間」とは異なり、確実に社長の1時間のほうが経済価値を秘めていました。
しかし、その経済価値はあくまで「経済論」という人生で2番目に重要な局面においての話であり、もっとも重要な「幸福論」の下に位置するということは その当時の私ですら理解をしていました。
が、理解をしていたところで実際に社長が歩みを止めて、息子と昼間からサッカーをするのもまた不思議な光景であるということを同時に理解していました。
事実、現在の私が我が子のサッカー・テニス・学習塾を他者に委ねているため、各担当者には お世話になりっぱなしです。
ですが、子供たちの成長を見届ける中で、親と子の携わりの重要性に改めて気づくことが よくあります。
子は親の作品であり、その全てです。
子育てを通して「人の育て方」を学ばせて頂き、人材育成という重要なポストを任される4~50代時期のリハーサルをしているようなものだと感じるときがあります。
子供にソッポを向かれたら、それは何かボタンを掛け違えてきた証拠だと受け入れなければなりません。
そんな「掛け違え」を起こしているご家庭に 何度も遭遇してきました。
私たちにできることはコーチとして携わり、各競技で自信を持ってプレーをすることで自己形成の一助となれるよう寄り添うことでした。
私たちに任されている役割は それ以上でも以下でもないのです。
今頃、あの時の小学生たちは十代後半になっているはずです。
子供たちが大人になる過程でもっとも重要な「何を当たり前と思って生きるか」という 前提作り に他者が介入できる余白は当然あると思っているので、おごらず、でも遠慮せず、人様の幸せを願わせてください。
君の家では「許可がないとチャレンジしてはいけない」という決まりがあるかい?
君の家では「父親が絶対」というルールがあるかい?
君の家では「偏差値が全てだ」と教えられているかい?
君の家では「好きなことは何でもやるべきだ」と聞かされているかい?
君の家では ご飯粒を残すと「お米は お百姓さんが一粒一粒・・・」という話を聞かされて育ったかい?
皆さんが過ごした幼少期の体験が、間違いなく自分のルールやセオリーを作っています。
疲れ果てて、這いつくばって、気絶をして、泡を吹いても、立ち上がって、自分の先を行くものを追いかけ、追い越していくとプログラミングされている子は、大人になっても平気でブラック企業の中を縦横無尽に走り回ります。
もちろん、そんな無茶な要素をプログラムするのではなく、我がスタジオが運営するキッズコーディネーションの子供たちには もっと素敵な価値観を見につけて大きくなって頂きたいと先日 担当の Nanaru とも話していたところです。
私たちは出会った皆様にどんな刺激を届けられているでしょうか。
まだまだ修行の足りない私たちですが、共に過ごす時間が家族・親戚・同僚という垣根を超えて かけがえのないモノであると私たちは信じています。
私たちに充実したお仕事と遣り甲斐の感じられる素晴らしいお仕事を与えてくださり、皆様には感謝しかありません。
また感謝をするという習慣を持たせてくれた両親にも お礼を言いたいです。
感謝。
それは「有難味を感じる」ということ。
有難いと感じる時の精神状態を思い浮かべてみてほしい。
ポジティブとネガティブに分けたら前者となる。
お金がなくても、今の状態に有難味さえ感じればそれは幸せ以外の何物でもなくなる。
全てはコレ一つで世界を変えることができる。
白米に、コレを一つまみして、あとは鰹節と醤油でちょちょっと。
コレはすごい。
コレはすごい。