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KANGE's log

映画「1917 命をかけた伝令」

2020.02.18 14:04

第1次大戦中のフランス。ドイツ軍の罠を察知したイギリス軍のエリンモア将軍は、デヴォンシャー連隊に明朝に計画されている攻撃の中止を伝えるため、ブレイクとスコフィールドの2人の少年兵を伝令として走らせる…という物語。

まずは、自軍の巨大迷路のような塹壕から出て、味方の支援もない状態で無人地帯を渡り切って、撤収したと思われるドイツ軍の塹壕跡まで向かわないといけません。この長い長い塹壕は、撮影のために全部掘ったわけですよね。すげぇ。そして、塹壕は狭く、誰も少年兵のことなど気にも留めませんから、他の兵士をかき分けながら進んでいかなければなりません。大切な伝令なんだから「よけてあげろよ」と思ってしまいますが、これが、一歩無人地帯に出ると、いつどこから敵に狙われるか分からない圧倒的な恐怖を感じる前振りになっています。塹壕とはいえ、これまで、いかに安全な場所にいたのかが、観ている私たちにも実感として分かります。

本作は、長回しをシームレスにつなげた、全編ワンカット風の撮影・編集を行っています。ワンカットに見せることは目的ではなく、手段です。その目的とは、私たち観客をその場にいるような感覚にさせることでしょう。カメラの動きは、FPSゲームのように主人公目線ではなく、時には先回りしたり、別のところを向いていたり、つまり、私たち観客が「3人目の伝令」のような立場で、緊迫した戦場を駆けることになります。ただし、ワンカット風と言っても、すべてがリアルタイムに進行していくわけではなく、途中、ある理由で時間軸がジャンプすることもあります。あくまでも、本人の体感でリアルタイムに進行していくということでしょう。

伝令の2人は、キャスティングの時点で無名性も重視されていたのでしょうね。先入感なしで、ただの少年兵として見ることができます。ただ、2人の性格は対称的なところもあります。ブレイクは真面目でまっすぐ、命令を忠実に実行しようとします。一方のスコフィールドはちょっとひねくれていて、厭世的な面もあります。その性格がどのように行動に影響して、どう変化していくのか、というところです。3人目の伝令としては、もうちょっと、2人の人となりをじっくりと見たかったという思いはあります。

一方で、カットを割らないので、ずっと主人公と一緒にいることになって、途中で出会う人たちや、出くわすアクシデントなどが、どうしても一本道のRPG的に見えてしまいます。
第1ステージ:自軍塹壕
第2ステージ:無人地帯
第3ステージ:敵塹壕跡
…とミッションをクリアしていくような感覚になります。彼らに命令を与えたり、手助けをしたり、ちょくちょく出てくるのが、みんなイギリスの名優たちで、これも本物の俳優が登場する昨今のゲームのような印象を受けます。エンターテインメントとしては入り込みやすいのですが、これが戦争のリアルなのかと考えると、ちょっとどうなんでしょうか?

特に後半は、そのイベントのつるべ打ちで、展開としては盛り上がるのですが、あまりにも都合よくアクシデントが起こったり、幸運にも切り抜けられたりして、強い作為を感じてしまいます。 でも、よく考えると、戦争の中で生き残るということは、傍から見れば都合がよすぎるような幸運が続くということなのかもしれませんね。

印象に残ったのは、途中で、もし、彼らが無事にデヴォンシャー連隊のもとに辿り着いたとしても、その決死の伝令が無駄骨に終わる可能性が示唆されるところです。これのおかげで、ただゴール地点に辿り着くことだけでは目的が達成されないということになり、最後の最後まで気を抜くことができなくなりました。

無事に攻撃中止を伝えることができたとしても、現実の歴史では、1917年で終戦を向かえるわけではありません。まだ戦争は続くのです。そういう意味では、彼らの使命は、歴史を動かすような大きなものではりません。世界を巻き込んだ戦争のなかで、一兵卒が果たす役割など微々たるものです。そんなことにも、命をかけないといけないのが戦争です。

では、彼らの仕事が意味のないものだったかというと、決してそんなわけではありません。伝令で走りまわる中、彼らのことを「伝令」「上等兵」と呼ぶ者はいても、名前で呼ぶ者はいませんでした。ただ、ラストに1人だけ、ちゃんと名前を確かめて、名前で呼んでくれた人がいました。その人にとっては、ただの一兵卒ではなかったということですね。ここは、ぐっとくるものがありました。