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浄土宗 心行寺

【ご開帳】~秘仏~ 十一面観音像

2020.02.19 00:35

 この度、春のお彼岸に合わせて当山秘仏の十一面観音像を「ご開帳」いたします。

 詳細は下記の通りです。

《日 程》 令和2年3月20日(金)10時~15時


《場 所》 心行寺 本堂


【拝観無料】 どなたでもご拝観いただけます。



《秘仏 十一面観世音菩薩像》

 像高29.9㎝、ヒノキ材の一木造り。頭上面のすべては後補であり、当初から十一面観音であったかどうかは明らかでない。なだらかな面構成には平安時代後期の特色が顕著であるが、髪際線正面中央が下向きに尖る形や、面長のやや厳しい表情には、鎌倉時代に入っての特色も示している。

 『新編武蔵風土記稿』の心行寺の項には、観音堂に定朝作と伝える長さ九寸の観音像があることを記している。(H20横浜市教育委員会調査報告より)


《十一面観音とは・・・》

 十一面観音はその深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩であるとされる。多くの十一面観音像は頭部正面に阿弥陀如来の化仏(けぶつ)を頂き、頭上には仏面(究極的理想としての悟りの表情)、菩薩面(穏やかな佇まいで善良な衆生に楽を施す、慈悲の表情。慈悲面とも)、瞋怒面(しんぬめん。眉を吊り上げ口を「へ」の字に結び、邪悪な衆生を戒めて仏道へと向かわせる、憤怒の表情。忿怒面(ふんぬめん)とも)、狗牙上出面(くげじょうしゅつめん。結んだ唇の間から牙を現し、行いの浄らかな衆生を励まして仏道を勧める、讃嘆の表情。牙上出面あるいは白牙上出面とも)、大笑面(だいしょうめん。悪への怒りが極まるあまり、悪にまみれた衆生の悪行を大口を開けて笑い滅する、笑顔。暴悪大笑面とも)など、各々に複雑な表情を乗せ、右手を垂下し、左手には蓮華を生けた花瓶を持っている姿であることが多い。


《定朝とは・・・》

 平安時代後期に活躍した仏師。藤原道長より「法橋」の位を与えられる。

 代表作は平等院鳳凰堂阿弥陀如来像(国宝)

【心行寺開基位牌裏面に記された開創の縁起】


《江田源三伝説と十一面観音像》

 寺伝にいわく、当山の開創は江戸時代初期にあらず、それより遡ること四百年、平安時代末期であるといいます。その由来は平安時代末期に活躍した武士、江田源三(一一六一〜一一八五)に関係しています。

 江田源三は源平盛衰記や義経記に登場する源義経の忠臣です。この荏田地域には荏田城という古城址があり、江田源三はその城主であったといいます。当地には江田源三にまつわる様々な言い伝えが残されており、弓の名手であった源三が城より矢を放った折、矢の先が落ちたところを「矢崎」、矢の羽が落ちたところを「矢羽」といいます。また城址のある地区を「小黒谷」というのは、源三の愛馬「小黒」を繋いだ地であるといいます。


【江田源三 国芳画】

 


 寺伝によれば当山の前身は源三の戦没した場所に、源三を開基として建立された禅庵であるとします。その後、時代を経て浄土宗に改宗し現在の心行寺として中興されたといいます。

 当山と源三との関係を表すものとして、当山には平安時代に作成された「十一面観音像」が安置されています。この観音像は当山の他の仏像と比較して格段に古く、おそらく源三の念持仏であったものかと推察されます。