「大友亀太郎像」と副碑。
2020.02.19 13:36
(あしあと その867・東区の34・本町の6)
札幌村郷土記念館の前庭に、コンクリート製の台座の上に載せられたブロンズ製の大友亀太郎の座像があります。台座の正面には「大友亀太郎像」と記されたブロンズ板がはめ込まれています。
一番左側には黒御影でできた副碑が置かれていて、そこには
「札幌開拓の先駆者、大友亀太郎は、天保五年(一八三四)に現在の神奈川県小田原市で生れた。二宮尊徳の門に学び「人の一生は金銀財宝に富めるにあらず、積善の道に如かず」を信念とした。安政五年(一八五八)に渡道し、慶応二年(一八六六)には箱館奉行に蝦夷地開墾の計画書を提出するとともに石狩地方開拓の命を受け、札幌市東区(旧・元村)に土地を選んで開墾し、札幌の街づくりの発端となった。明治二年(一八六九)これを開拓使に引き継ぎ、翌三年札幌を去つた。亀太郎が掘つた大友堀は、今日の創成川の基となつて街の中心部を流れ続けている。
昭和六十一年五月 製作者 農民彫刻家 松田与一 題字 札幌市長 板垣武四 大友亀太郎像建立実行委員会 委員長 清水利信 [財団法人北海道報徳社 社長理事] 札幌村郷土記念館保存会 平成二十二年十一月(複製)」
と刻まれています。