【開催報告】第三回縁起でもない話をしよう会@大阪
【第三回 縁起でもない話をしよう会】
無事に開催させて頂きました!
予想してたより二割ぐらい参加者が多く、今回と非常に賑やかに語り合って頂ける会になったと思います。
参加してくださった皆さま、本当にようこそのお越しでございました。
ありがとうございました!
今回は「聴く」と言うこともさることながら、「語る」「伝える」と言うことの難しさについて考えさせられるお話を、北村愛美・大治先生から頂いたなーと感じています。
「聴く」と「語る」の中で、その場にいる自分にも相手にも様々な変化が生じ、それまで考えもしなかった「おもい」が突然表出する……そんな、ある種当たり前のことに改めて気付かせて頂いたような気がします。
お互いに、その変化の過程を都度都度で確認し、受容し、苦しみつつも楽しめる関係性に気付いていくのが本来の「人生会議」の主旨なのかも知れませんね。
さて、後半の座談会パートでは、ふたつのテーマについて皆さんに語り合って頂きました。
「最期に、これだけは家族に伝えておきたいことは?」
そして
「最期まで、これだけは家族には言いたくないことは?」
……いかがでしょうか?
私は個人的に格好いい辞世の句に憧れているので、「消え去るより燃え尽きろ」とか「今までは 人のことだとおもふたに 俺が死ぬとは これはたまらん」とか、こんな良い感じの言葉をベッドサイドの家族に託したいものです(笑)
他方、「言いたくないこと」と言うと、やっぱり恨み言とか、お墓・お浄土まで持って行くつもりだった秘めたる懺悔や後悔、わがままや無理強いなんかが思い浮かびます。
もちろん、これらはいずれも言いたくなったら言えばいいし、言いたくなければ最期まで言わなくて良いことだと思います。
しかし、たとえば、もしも自分の家族が、どこか別の機会でこの「伝えたいこと」「言いたくないこと」について、すでに考えていたとしましょう。
自分が「聴く」側だったとして、私が聴けて嬉しいのは、このどちらでしょうか?
最期まで綺麗で気丈な家族の言葉。
これは生きる上で私の大変な支えになります。
最期に聴いた、初めての弱音、恨み言。
うーん……これはこれで、やっぱりなんだか私の支えになってくれそうな気がします。
「弱くても良い、綺麗でなくても良い」ってメッセージとして、これをお互いに受け止められる関係性があれば……ちょっと心強いですね。
主催者としては「縁起でもない話をしよう会」自体が、一つそう言う場として機能すればいいなぁと、そう感じておるところです。
今回頂いたアンケートやご意見をフィードバックして、より参加しやすい、より実りのある会にしていきます。
今後とも「縁起でもない話をしよう会@大阪」を、何卒よろしくお願いいたします!