10年と3秒。新たな選択と次の10年。
大学2年の2010年ごろからかな。スキー競技を支えるには欠かせない、地元の小・中学生がいなくなり、強烈な危機感を覚えたことは。スキーを使った推薦で大学に入ることができ充実した大学生活を送っていた自分にとっては
「絶対に鹿児島のスキーを無くしてはいけない」
と強く思った。
そこから10年。大学院進学、就職、転勤、転職、結婚という大きなライフステージの変化を通しながらも、修士論文の発表がかぶった1回を除き、鹿児島県代表が集まり戦う「国体」に大きなパワーを捧げてきた。
◯10年と3秒
育成を続けたきた世代が大きくデビューをした2020年の「とやま・なんと国体」。試合が始まる寸前まで色んなことを伝えてきてのぞんだ思い入れのあったレース。10年前のワガママ満載の小学生ころから知っている世代が、選手として同じ舞台に。正直かなり力入りました。
*元選手の愛弟子トレーナー*
41旗門38ターンのレースは、1旗門も通過せず、スタート直後に板が雪に変に噛んでしまい、とっさに復帰しようとした逆足が雪面に噛んで、板が外れず吹っ飛んでしまいました。練習でも5年に1回やるかやらないか?の事故的なことが、まさか本番で起きるとは。。
10年間の想いは3秒しかコースにいさせてくれませんでした。
*まじで怪我する3秒前。笑*
転倒後10分くらいはアドレナリンもあり、全然痛みを感じなかったけど、いざ少し降りてみると何もないところで「ガクっ」と右膝から崩れ落ちる。通称:膝崩し の状態。その瞬間に、かなりヤバい状態に気づきました。そこからは、救急車で搬送、各種検査を通して
全治8ヶ月
前十字靭帯断裂、側副靭帯断裂、半月板損傷など
”重め”のフルコースの診断をいただきました。
がっつり攻めた結果での転倒なら、何かを後悔できるのに、「ネタレベルの事故」に対して、「10年という月日で積み上げた想い」は重たすぎて、表現できない感情が押し寄せ、ただただ神様というものを本気で呪いました。笑
◯新たな選択と次の10年
選手としては、アルペンスキーからクロスカントリースキーへ転向し、2021年の国体出場を、アルペンスキーは兼任で現場のコーチとしての参戦を目指します。担当医の21年度中の復帰への厳しさの判断、トレイルランのこともいろいろあるけど、何よりも、アルペンスキーで「現場」に関わりつつ、クロスカントリーという「新しい選択」で、30歳にして「挑戦し成長し続ける姿」を鹿児島の次世代を担う選手に示し続けたい。
*懐かしき8年前の写真*
クロスカントリー自体は、大学生の時にリレー競技(フリー10km)で人が足りなく、通算1ヶ月くらい練習しただけ(2回も出たけど)。トレイルランを通し、体力的には大学生の頃より”飛躍的に伸びている”一方、国体ではやったことのない「クラシカル」という独特の種目。あの手この手で、各地のスキー連盟へ武者修行に行きたいと思います。30歳の初心者。恥ずかしさなんて言っている場合ではありません。小学生だって中学生だって、自分より上手い人には頭を下げてでも教えてもらい、必死に練習して、絶対に追い抜いてやります。
”未知の道を楽しむ”
怪我して1週間。凹み、悩み、涙を流し、呪い(笑)。いろいろありました。次の10年は、新しい選択をするにあたり
①九州出身の選手初の冬季国体で入賞
→成年男子C(35歳以上)のカテゴリ国体入賞
②鹿児島でクロスカントリーのリレーに出場する
→4人選手を揃える!
を目指します。
このタイミングで怪我をできて良かった。ポジティブに人生のターニングポイントとなるか、ならないかは、これからの8ヶ月の自分次第です。30代を前に、まずしっかりと怪我を”焦らず”治すこと。(病院大嫌いだけど頑張ります。笑)
#俺の成長