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13th hour garden

後日譚 (一)

2016.05.05 14:04

坂口モーターズの看板が見えてくると、狭霧はすぐに家に近づかず、少し離れた場所から様子を伺った。作業所に坂口の姿は見当たらず、奥の事務所兼物置の戸が閉まっていた。坂口はその中で接客中に違いなかった。

狭霧は作業所からの視界に入らないように気を付けながら玄関へ回り、玄関の戸に手を掛けてそっと開けようとした。

「お、何だ、三太。帰ってたのか」

突然後ろから坂口に声を掛けられて、狭霧は飛び上がった。慌てて、薔薇を持った右手を身体の後ろに隠した。

「何だ、今、後ろに隠したのは」

「な、何でもないよっ」

「隠さなくってもいいだろうが。見せてみろ、ホラ」

そう言って坂口は狭霧の後ろを覗き込んだ。

「・・・何だ、お前、こんなかーいらしいピンクの薔薇なんか持って。誰かにプロポーズでもされたんか」

そう言って坂口は呵々々と大きな笑い声をあげた。

坂口に悪気はないことは解っていても、その冗談に狭霧はげんなりとした。

― 言うと思ったんだ・・・だから、おっさんに見られないように家に入ろうとしたのに。

黙ってりゃ、只の人の良い修理屋のオヤジなのに、何でこう発想が妙な方向に行くんだろう?

「違うよ。これは小鉄がふざけて・・・」

狭霧が否定しようとしかけたところ、

「何、三太がプロポーズされたって?」

そう言いながら、事務所から坂口と同年配くらいの中年の男が出てきた。坂口の常連客だが、実際のところは世間話をしに入り浸っているだけらしい。

坂口はその男に振り向くと、

「おお、こんなピンクの薔薇なんかもらってな」

「そいつは、隅におけないねえ。けど、三太はそんな話にゃまだ小さすぎないかい」

「いや、それが、こんな中学生みたいなナリをして、こいつはなかなかモテやがんのよ」

「へえー、そいつは見かけによらないねえ」

「いや、全く」

坂口は腕を組み、首を振りながらしみじみと言った。

「親代わりの俺としちゃ、なかなか気苦労が絶えねえのよ。こいつが立派に実家の跡目を継ぐまで、悪い虫がつかないようにしっかり見張ってなきゃってな」

「へえー、そりゃまたご苦労なこったい」

男は感心したように言い、

「しかし、坂口さん。今からそんなんじゃ、三太が結婚するって日にゃ、あんた、泣いちまうんじゃないかい」

「よせやい、俺あ、そんなに女々しかねえや・・・といいたいところだが、実は俺もそれを心配してんのよ」

「何だか、息子というより、娘が将来嫁ぐのに気をもんでる気の早ええ親父みてえだな・・・」

当人を他所に、いい歳した中年男二人がおかしな方向で盛り上がっているのに溜息をつくと、狭霧はそれ以上二人に構わずに家の中に入った。

だが、この時坂口にちゃんと口止めをしなかったことを、狭霧は後々大いに悔やむことになるのだった。


狭霧が台所に立っていると、居間に置いてある電話が鳴った。居間で新聞を読んでいた坂口が電話に出、親しい相手なのか、時折大きな笑い声を交えながら上機嫌で話をするのが聞こえた。

やがて、坂口が大声で狭霧を呼ぶのが聞こえたため、狭霧は台所仕事を中断して居間へ向かった。

狭霧の姿を見ると、坂口は手招きをした。

「おう、三太。ちょっとこっちへ来て電話に出ろ」

「俺も?随分楽しそうに話してると思ってたけど、誰からだったの?」

「一だよ、一」

「なんだ、一乃介さんからか」

狭霧は坂口から受話器を受け取った。

「もしもし、一乃介さん?俺だけど」

「ああ、三太か。千乃介から聞いてたが、また、おやっさんと暮らせるようになって良かったな」

「あ、うん。散々世話になっておきながら、直接報告できなくてごめん」

「気にすんな。第一、俺はそんなに大したことはしていねえぜ」

一乃介は狭霧の言葉を軽く受け流すと、

「ところで、今、おやっさんから聞いたんだが・・・まあ、正直俺も驚いたが、こういうことは本人の気持ちが一番大切だからな。お前も色々悩むところだろうが」

一乃介の言葉に狭霧は戸惑った。俺が悩む?修行の途中で三葉に戻ったことだろうか。

「とにかく、お前の気持ちが固まって、万事納まるところへ納まったら、また知らせてやってくれ。相手が誰かもな」

万事納まる?相手?狭霧が何のことかさっぱりわからずに言葉に詰まっていると、一乃介は狭霧の反応をどう思ったのか、

「ま、あまり思い詰めないこった。結局、なるようにしかならないからな。・・・じゃあな、三太。元気でやれよ。またそのうちおやっさんちへも訪ねて行くから」

「う、うん。一乃介さんも元気でね」

電話を切ったあと、狭霧は一乃介の言葉の意味をしばらく考え込んだ。が、皆目見当がつかず、すぐに考えるのを諦めた。

一乃介さんは何か誤解しているのかもしれない。それが何なのかはよく分らないけど・・・

この時の狭霧は、一乃介の誤解が後に招く事態を全く予想していなかった。