「祭り」とは
※初めに、この記事は筆者が所属する如何なる団体に一切関係無く、一個人の見解である事と特定の自治体、個人のみを非難する為に公開した内容では無いことを留意した上で閲覧、共有して頂きたいと強くお願い申し上げます。
「祭り」
とは一体何者なのか。
「男の意地をかけた年に一度の晴れ舞台」
それも祭りである。
「建築、刺繍、彫刻、絵画、音楽、様々な分野においての伝統的な技術の集合体、そしてそれを披露する場面」
それも祭りである。
「地域の交流の場。年齢や性別を超えて地域が一体となる機会」
それも祭りである
「日常の鬱憤を晴らす絶好の機会。狭い地方コミュニティを利用し、トラブルや揉め事を発生させ怠惰な日々を送る自分からの現実逃避の場」
それも悲しいかな祭りの現状である。
祭りとは多様な側面を持った複合的文化の集合体だと私は考える。
しかしそのルーツ、起源とは一体なんなのか?
当地域(太鼓台、山車を氏神神社に奉納する祭りを指す)の祭りにおいてそれは「氏神神社への信仰心」が祭りの起因であると考えるのが自然である。
即ちそれは祭りを運営する側の人間の精神の側面において欠かせない基盤であるのは言うまでもない。
祭りが発生した時代と今の時代は明らかに生活の様式も人々の思想も大きく違う。
日本国憲法において個人の宗教と思想の自由は保証されている。
普段の個人の思想には誰もが難癖をつけ非難することは出来ないと私は考える。
しかし「祭り」の運営に深く携わる者
(この場合当地域では山車、太鼓台の運営・企画する組織に属する者を指す)は前述の「氏神神社への信仰心」は絶対に揺らいではならない、軽視されるべきものでは無いのである。
「祭り」という文化を発信する側とそれを見物する者、憧れる子供では責任の重さがまるで違う事を認識していない輩がいる事、そしてそれらが「祭り」に対して正当な携わり方をしていると誤認識している事こそが由々しき事態であると考える。
地域外へのPR、制作においての革新的な技術考案、他地域からの文化の流入
近年の太鼓祭りにおいてこれらの要素が特に目立ち、ある意味でこれらが祭りを支えているのかもしれないと見受けられる場面も多い。
しかし本質的なルーツを見失えった者がそのような事をしていると祭りの本質は消失し文化の堕落は目に見えているのだ。
2月23日
隣市においてある太鼓台2台が市の文化施設の展示入れ替えの為に数時間の間だが太鼓台の運行を行った。
2月23日は言うまでもなく
「天皇誕生日」であり国民の祝日として扱われている。
しかしこの2台は運行中、一切それに触れる事なかった。
祭礼の場での太鼓台運行と
イベントの場での太鼓台運行の目的は異なって当然であると考えるが、偶然とはいえ2月23日に太鼓台を運行したにも関わらず簡易的な祝福の意思の提示(垂れ幕、指揮者口上など)すらなかった。
「2月23日に太鼓台を保有する町は祝賀運行をするべきなのだ!」などという考えがある訳では無いが
運行するのがその日になったのならその事(天皇誕生日)について触れるのが普通なのでは?と考える。
「氏神への信仰心」と「皇室崇拝」は別であるという考えもあり、太鼓台という文化のルーツにおいてはそうなのだと考えれるが
生活水準、一般的な教養レベルと知識共有の簡易化が太鼓台文化が発生した時代と比べて遥かに進んでいる現代において日本神道の上では天照大神が日本民族の総氏神である事は当然の認識でありその子孫とされる皇室に対して各地域毎の氏神神社と同様の信仰心、敬意があって当然であるべきと考える。
何が言いたいか要約すると
「楽しい格好いいお祭りをする為に太鼓祭りのルーツと起因を忘れないで欲しい。
心の中にそれを持って、各々が考える様々な方法での文化の発展と向上に取り組んで行って欲しい。」というものである。
若輩者の駄文ではあったと重々承知はしているが、どのSNSにおいてもこのような意見を見ることが出来なかったので、批判的な意見も覚悟して苦渋の決断の上に記事を書いた事をどうか理解して欲しい。
近い将来に訪れる人口減少による地方の衰退を前にして、
ここ数年の各地域における表面上だけでの祭り文化の発展を促す風潮に危機感を感じたのでこのような記事を公開した。
2月23日に新居浜市で運行された太鼓台に限定して特別に非難する内容では無い事を最後に伝えたい。