花粉症と足
この前の続きがあります。
この方の場合、右足が優位か、左足が優位かを決められない。
物事には、AかB、AとBか、AとBのどちらでもないという選択があります。
右か左で右も左もという結果になったということです。
右か左かを絶対に決めなければならないとしたら、左という答えです。
つまり、どちらが最初か?
という条件を与えると左という選択です。
時々、こういう人がいます。
しかし、左足は下腿内側で脛骨のやや後の緊張があり、右足は、下腿後外側から外側の緊張があり、右の方が全体的に緊張しているという状態です。
術者の思い入れで被検者の身体の緊張は大きく変化します。まず、そのことに注意を向けなければなりません。あきらかなものは誰でもわかりますが、こういう場合、術者の意識が滅茶苦茶大事です。
左足首を触っても右足首を触っても同側の下腿部の緊張は緩みます。
左足首を触ったときに若干、右足下腿後外側が緩むかなという変化があるので左が先と判断できます。つまり左の方が全身に影響を与えている割合が大きいということだろうと思います。
こういう判断も、判断に迷うという経験をしないと発想が生まれてきません。右か左を決めて下さいと思っただけなら、順番という発想はないので判断できません。
判断できない(複雑になっている)状態の人を単純なもので割り切ろうと思うと誤ってしまうことがあります。つまり効果を得ることができないということです。
常に選択するという世界に私達は生きています。散歩をしていて、道を右に曲がろうか、左に曲がろうか?
と迷った時に何でそれを決めるか?
右に曲がっても、左に曲がっても家に帰る距離は変わりません。さぁどちらを選ぶのか?
そんな経験は生きていれば、いくらでもあると思います。その時に、前を歩いている人が右に曲がったから右についていこうと思うこともあるでしょう。
それはそれでいいけど、それが運命の別れ道なんですよね。毎日同じ行動をしているように見えて、いつも違います。
一期一会とは、ホントにそういうことだし、患者さんの身体を診ていたら、それをもの凄く痛感させられます。生きていること自体が奇跡なんだと思わざるを得ない。そういう気持ちに自然になってきます。