距骨の観察
足というのは全身に影響を与えます。
足のわずかなアンバランスが全身に影響するということは誰しもわかることだと思います。
たった2本で、小さな面積の足裏で全身を支えてバランスをとっている訳ですから常識的に考えてもわかることですよね。
しかし、意外にそういう捉え方をする人が少ないのかも・・・。と東京セミナーに行ってから思いました。常識的には捉えているのですが、それをしっかり自分のものにしていないということだと思います。
もちろん、足首だけで全身を調整するというようなことを言う人もいますし、しかし、どんな意味で、その手技を行っているのか?
というのがハッキリしていないような気もします。たぶん解剖学的な考察はあると思いますが、それだけで果たして思った効果を出せるのかも疑問に思います。何か他の理由があるはずです。
何を言いたいかというと、解剖学的なアプローチから、それをアジャストすれば良いのなら、今まで誰しも考えつくことであり、それでうまくいくはずです。しかし、現実は、うまくいくときといかない時がある。うまくいかない時は何かが、おかしいと考えなければなりません。
それは経絡でも同じです。経絡や穴と言いますが、そもそも、その穴や経絡の概念がどういう現象で起こっているのか?
という疑問を持たない人が多すぎます。教科書を広げて、「この穴は・・・」という話しになる人はホントに、幸せな人だなぁ~と思います。
臨床から導き出したと言う人もいるでしょう。しかし、そもそも経絡とは何か、穴とは何かをできるかぎり明確にし、それを再現できてこそ経絡や穴の存在を利用することが必要なはずです。全てのことはわからなくても、ある程度の予測は必要です。
なぜ自分で調べないのか?
なぜ教科書の言いなりになるのか?
教科書は、正しいだろうと予測にしか過ぎない。
という考えを何故もたないのか?
ホントに不思議でたまりません。 自分で調べれば、実感も伴うのに、と思うのですが、調べようとはしません。 調べ方がわからないというのもあるかもわかりません。
また、三千年の歴史(現在の中国という意味ではないですよ)という言葉に怖れをなして、自分で考えないようにしているのかもわかりません。
大事なことは、自分で感じ、考えて、教科書と一緒であれば、それはそれで良いことですが、教科書と同じにならないことを恐れて、自分自身で調べていないのはナンセンスです。また、それを人に伝えるということが恐ろしいことです。
確かに自分で調べることは、ホネが折れることです。しかし、その挑戦をし続けることでしか真実は見えてこないと思います。
私もまだまだなので、こういう基礎的なことをもっと掘り下げて調べて行こうと思い、このテーマを問題にしてみました。