魂の「タマ」は楽しみたい?
『人の魂(タマシヰ)は、「タマ」と「シヰ」と「タマノヲ」から成り立っている』
というのが、縄文人の考え方で、古事記・日本書紀の原書とされる『ホツマツタヱ』に書かれていることです。「タマ」と「シヰ」について詳しくは、以前の投稿をご覧ください。
➡魂は「タマ」と「シイ」からできている!?
人の中心といえる「タマ」は、大宇宙の中心(アモト)から降ろされてきて、人となって楽しんだ後、また大宇宙の中心へと帰ってゆくと考えられていました。
肉体的な欲求である「シヰ」に取りつかれ過ぎた「タマ」は、人が死しても元に帰ることができずに苦しみます。理想としては、死して後、早く大宇宙の中心に帰って、またすぐに地球に人として生まれてきて楽しむことこそ良い、と考えられていました。
さて、ここでよく考えないといけないのが、「タマ」が楽しむとはどういう状態か? ということです。食欲や性欲を満たすような快楽的な「楽しい」という意味ではありません。快楽的な「楽しい」は、肉体的な欲求である「シヰ」につながることなので、死んだ後、大宇宙の中心に帰ることができずに苦しむのです。
それでは「タマ」が求めている「楽しい」とは、どんなことでしょうか?
簡単にいえば、あなたがこの地球に生まれてきた目的を果たすことですが、地球に生まれてきた目的は人それぞれ違います。
「目的を果たすこと」は、「成長すること」と考えれば分かりやすいでしょうか。成長は目に見えて分かるものではありません。過去を振り返ったときに、自らの成長を実感するものです。ただし、環境が変わったからといって成長しているとは限りません。課題をクリアできずに、環境を変えて、相手を変えて、同じことを繰り返している人がたくさんいます。
過去を振り返っても成長できていないと感じたら、新しいことにチャレンジする時期が来ているのかもしれません。
いつもありがとうございます。
ホツマまなびや白鳥校 教人(おしえと)
市口 哲也