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Botanical Muse

花心が香り立つ場所

2020.04.20 08:18

この投稿が出るころには、すっかり古い話になっているかもしれないが、Mちゃんのお宅は素敵だったなあ。

「先生の動作を見ているだけでも勉強になるから」というMちゃんのお祖母さまの言葉にふと心を動かされた。かくして私のお花の修行が始まったのである。前期で三回あるという。


私はのけぞるほど驚いた。お花のお稽古をつけてくれる先生は、ふつうの人とはまるで違うのだ。どの角度から、どんなに凝視しても美しい。そのうえディテールもきれい。なによりも濃いピンク色の美女オーラが立ちのぼっていた。それが部屋の空気をさらに春光に変えていく。

洗練されたことはため息が出るようで、すべてに無駄がなく、指一本一本に神経がゆきとどいているという感じだ。またそれが絵になるのである。お花をずうっとやっていたら、もしかしたらあんなふうになれるかもしれないと錯覚が起こる。


内緒にしておきたいことであるが、私は花の名前をきちんと言うことができない。花屋さんに行っても「この白いの」「このピンクのバラみたいなもの」と指さしてことを済ませる。女性として本当に情けない。花以外にも、コンピューター用語も全く覚えられないし、お店の名前も駄目。


記憶力が悪い、というのは今さら始まったことではない。特にひどいのがカタカナで、もし私がふつうの仕事をしていたら、脳に欠陥があると多くの人に指摘されたことであろう。これは単に記憶力が悪い、ということだと思っていたら、テレビで学者が言っていた。世の中には漢字を受けつけない、あるいはカタカナをはじき返す脳の持ち主がいて、こういうのはあきらかに病気の一種だというのである。おそろしいことではないか。実は私、病気だったらしい。


当日はエプロン、花瓶、ノート、カメラ、花鋏を持ってきてくださいとあらかじめ通知がきた。私はこういうとき、不安でたまらなくなる。五歳の幼稚園児のころから、きちんと用意したことがない。要するに緻密さというもの、自分の成し終えたものをもう一検討するというねちっこさがまるでないのだ。


前の晩はすべての品物を揃え、紙袋に入れるという私としては珍しいことをした。地下鉄で向かいながら、私は次第にうきうきした気分になってくる。

やれば私だってちゃんとできるじゃない。そうよねえ、お稽古ごとのいいところは、こういうきちんとしたことをしているうちに、きちんとした人間になれるっていうことよね。


ところがいざ、お稽古場のサロンに着いて私は青ざめた。詰めが甘かったのである。いい加減にもってきたサロンエプロンは、ボタンが取れかけていて、どう頑張っても後ろのボタンを留めることができない。

「どうして一回ぐらい着て試さなかったのだろう」唇を噛んでももう遅い。おまけに箱ごともってきた花鋏はひどくさびているのだ。私はそれを握り、背中がぱかんぱかんと開くエプロンを着た。こんな私にお花を習う資格なんかないとつくづく思った。


噂以上に美人の先生がホワイトボードにアレンジメントの図を描き、それを見ながら十数人の生徒は花を生け始める。たいていの人が、池坊とか他のフラワーアレンジメントを習っていたようだ。手つきがまるで私と違う。慣れた感じでパチンパチンと茎を切っていく。そして長さを加減しながら剣山にさしていった。


私ときたら、もの憶えが異常に悪いだけでなく、ふたつのことを一度にできないというのも昔からの悩みであった。作業をしながら、先生の貴重な解説がまるで脳にとどまってくれない。よってメモをした。

こういうとき私は一生懸命になる。他のことは何も考えれない。記憶力はないが、集中力はあるのではないかと思う。私はものにとりつかれたような様子でやった。頑張った。口もきかずに四時間、二種類の花を生けたのである。


お稽古が終ったあと、お薄と和菓子が出た。みなで楽しくお喋りしましょうという趣向らしい。私にしては珍しく知的な会話で張り切ったのであるが、悲しいかな、ふたつのことをいっぺんにできない。そんな器用なことがどうしてできようか。和菓子をものも言わずガツガツと食べた。


私と会った女性は、かなり嫌な思いをしたのではなかろうか。が、お花を習っているような人はみな優しく、誉めるのがうまい。

「こんなに熱心な人はいない」「職人気質ね」などと口々に言ってくれた。

「皆さん、ありがとう。初めて『愛してる』って言ってくれた男の人と同じぐらい感謝します」すぐに気をとり直す私である。


そんなわけで、すっかり得意になった私はお稽古後、メモを友人のところに送信した。

「ヒヤシンスの匂いすごい。ピンクッション、大きくてびっくり」

翌朝、このメール何?問い合わせがきた。 


結局、三回の講習のうち、私は二回だけ通い、何とか花鋏の持ち方ぐらいできるようになった。水揚げというものもどういうものかやっとわかった。人間無知から前進するというのは、なんと素晴らしいことであろうか。あれ以来、私は花屋さんへ行くと、種類がわかる花がぐっと増えた。


そして私は、次にダンスを習いたいなあと考えるようになった。髪の毛も踊るように体を楽しげに動かせるようになりたいと思うようになった。体の柔らかさは頭の柔らかさに比例する。肉体を使って表現できるようになれば、ぐっとみずみずしい魅力を放つ女性になるに違いない。“頑なさ”に別れを告げたいのだ。


人間はとにかく好奇心を持って新しいことをやってみるのが肝心である。100まで行かなくても、何か始めた人は1か2のものは身についている。やる前からあきらめて何もしない人は永久にゼロだ。ゼロと2の差っていうのは、人間にとってものすごく大きなものになるであろう。

何かする、ということは「キレイになりたい」という姿勢とつながることをひたすら信じている私なのである。





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