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幸福論

2020.05.15 05:00

幸福の定義は難しい。人によって幸福は異なるからだ。


端からみて不幸でも、当人にとってはそれが幸福の渦中にいる時かもしれない。


地位、お金、人間関係、仕事、衣食住。全てに恵まれ何不自由ない暮らしを送っている人でも、「私はいま幸福の絶頂だ」とは思わないだろう。


なぜなら全てを得て恵まれていれば、パワーバランスが働き、それ相応の負が訪れるからだ。


お金目当てに寄生してくる親族や友人たちに辟易して、「人間不信」という負を課せられるかもしれない。


いくら大金を積んでも完治しない「不治の病」という負を課せられるかもしれない。


富裕層や成功者は世間一般的には勝ち組で幸せ者に映るだろう。しかしそれは違う。


どんな人間でも、その人にしか分からない苦痛や災厄を持ち合わせているものだ。


反対に浮浪者や貧乏人は外見や生活だけ見ると、不幸に見えるかもしれない。が、これも見当違いというパターンがある。


不幸だと感じている浮浪者や貧乏人も中にはいるかもしれないが、全員が全員、現状を嘆いているわけではないだろう。


お金がなくとも五体満足で雨風をしのげる家があるだけで、十二分にハッピーだと思える人たちもいるのだ。


よって見た目だけでは人の幸不幸は判断できない。


満面の笑みでも不幸のどん底かもしれないし、陰気な顔でも幸せ日和かもしれない。


幸福か否かは人それぞれ違うのだ。


幸福になる最も単純明快な方法は、「他者を幸福にすること」。


人を幸せにすればその分自分も幸せになれるのだ。


宗教家・ジョセフマーフィーはこんな真言を残している。

『今あなたが不運な状態にあるなら、それはあなたがそうなるように仕向けた結果です。

逆に、今あなたが幸運に恵まれているなら、それもあなたがそうなるように仕向けた結果です』


これはスピリチュアリズムの「カルマの法則」を指している。


良きことも悪しきことも、原因があって結果が運ばれてくる。


幸せの種を蒔けば幸福になれるし、悪しき種を蒔けば不幸になるのだ。


断言する。この法則を会得し実践すれば、いかなる人物であっても簡単に確実に幸運児になれると。