幸福論
幸福の定義は難しい。人によって幸福は異なるからだ。
端からみて不幸でも、当人にとってはそれが幸福の渦中にいる時かもしれない。
地位、お金、人間関係、仕事、衣食住。全てに恵まれ何不自由ない暮らしを送っている人でも、「私はいま幸福の絶頂だ」とは思わないだろう。
なぜなら全てを得て恵まれていれば、パワーバランスが働き、それ相応の負が訪れるからだ。
お金目当てに寄生してくる親族や友人たちに辟易して、「人間不信」という負を課せられるかもしれない。
いくら大金を積んでも完治しない「不治の病」という負を課せられるかもしれない。
富裕層や成功者は世間一般的には勝ち組で幸せ者に映るだろう。しかしそれは違う。
どんな人間でも、その人にしか分からない苦痛や災厄を持ち合わせているものだ。
反対に浮浪者や貧乏人は外見や生活だけ見ると、不幸に見えるかもしれない。が、これも見当違いというパターンがある。
不幸だと感じている浮浪者や貧乏人も中にはいるかもしれないが、全員が全員、現状を嘆いているわけではないだろう。
お金がなくとも五体満足で雨風をしのげる家があるだけで、十二分にハッピーだと思える人たちもいるのだ。
よって見た目だけでは人の幸不幸は判断できない。
満面の笑みでも不幸のどん底かもしれないし、陰気な顔でも幸せ日和かもしれない。
幸福か否かは人それぞれ違うのだ。
幸福になる最も単純明快な方法は、「他者を幸福にすること」。
人を幸せにすればその分自分も幸せになれるのだ。
宗教家・ジョセフマーフィーはこんな真言を残している。
『今あなたが不運な状態にあるなら、それはあなたがそうなるように仕向けた結果です。
逆に、今あなたが幸運に恵まれているなら、それもあなたがそうなるように仕向けた結果です』
これはスピリチュアリズムの「カルマの法則」を指している。
良きことも悪しきことも、原因があって結果が運ばれてくる。
幸せの種を蒔けば幸福になれるし、悪しき種を蒔けば不幸になるのだ。
断言する。この法則を会得し実践すれば、いかなる人物であっても簡単に確実に幸運児になれると。