Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

許認可・法務  al&la  行政書士 井原法務事務所

遺産を分ける意味、貰う意味

2020.03.03 23:15

遺産を分ける意味、貰う意味を分かっている人?

遺産は、先代、先々代などから受け継ぐ財産です。(この場合、借金も含みます。)
次の世代が、これらを受け取る事は、ただ、法律的権利があると言うだけからではない事を誰もが知っていると思いがちですが、そうではありません。
多くの人は子供だから当然の権利という認識に有ります。故に、「これだけもらうのは当然だ」という言葉が出て来て、揉めます。


相続においては、「受け継ぐ」と「貰う」とは、意味が違います。

❶「貰う」には、辞典には、「人から与えられるものを受け取る」ことであり、広辞苑によると、「他人の物事を引き受ける、あずかる」とあります。また、❷「受け継ぐ」は、「前からあったもの・仕事などを引き継ぐ。継承する」とあります
ことわざに、次のようなのがあります。
❸「貰うものの地藏顔、済(な)すときの閻魔顔」=物を貰う時はいい顔して、貰えない時は閻魔のように怒ること。
❹「貰(もろ)うた物は値が続かぬ」=貰ったものは、自分が苦労して手に入れた物ではないので、身につかないとか、大事にしない、いつまでもない…と言う意味。
相続はまさにこれですが、それ以上でもあります。


旧法においても、家督相続が、第一嫡子、特に長男に有るのは、それを継承する義務を持つことの重要性を鑑みています。新法において、民主主義を尊ぶ上にも、権利の全体主義として、家督相続の廃止となります。が、「受け継ぐ」においては、何も変わり有りません。

「貰う」とは、多くが、無償(又は有償でも)にて何かを貰うのですが、「受け継ぐ」というのは、内・外共に維持管理して行く及び行かねばならない事を内包します。そのうえで、貰うのです。
それが大切だけでなく、いかに大変であるか・・・です。
つまり、受け継いだものは、なおざりにしてはならないのです。ましてや、受け継いだものを使ってしまうとか、失くしてしまう事の無いようにしなければなりません。
それを増やしていくことはあってもです。

企業における事業継承の要件のひとつもそこに有ります。

「存続」こそ命です。


其れゆえに、富豪の様な遺産を受け継ぐ人は、その維持管理に人生を翻弄させられてしまうほどに神経をすり減らすような憂き目にも逢います。
富豪であろうがなかろうが、遺産を受け継ぐのは、「引き継ぐ」ことなのです。
それができないのなら、せいぜい最低分だけにして、権利の放棄を考えるべきです。
勿論誰もそんなことはしませんが。



この時に言う、「当然の権利」とは、何を指すのでしょうか。

「子供」という認識しかありません。この人の子供だからもらえると言うのは、法律的認識であって、法で認められているものですが、それは、遺産の継承の必要かつ正当性を見定める手段に他ならないと言えます。
今ある自分の存在が、誰のおかげであるのかの自覚が必要です。
「生んでくれと誰が言った!」と言うのは、人間に生まれて来たことへの感謝を思わないからです。人間でなく、他の生きものだったら、「人生」というもの・「この世界」と言うものを何一つ知らずに食うだけやせいぜい子育てだけに生きます。
「人間は考える葦である」ことにこそ意義をみます。



全てのものにおいては「権利と義務」が存在します。

この時、「子供だから貰う権利がある」というのは、権利だけの主張です。
当然、この時は、法定相続人としての正当な権利の主張ですが、義務を請求はしていなくても、本来は、義務を果たしている人の義務の履歴の上にその権利が成り立っていると言う事が必要です。しかし、法規上には出てきません。両者は両立して初めて成立るものです。またそうでなければなりません。
それは、倫理観でもあるし、「権利」の裏にあるのが「義務」であることを知らねばなりません。
世の中で、「相続」が「争続」と同じ線上でしか見られないのは、これの両立していない所に要因があります。両立していれば、各人が、自分の権利と義務を天秤にかけて判断しうるので、揉め事はすくないはずです。
親が、子どもに渡す遺産を平等に分けないのは、その子供たちの「親に対する恩返し」に対して差を付けたいのです。当然な親の感情です。その[恩返し]の程度の違いが、遺産分割の違いであることを認識する人はほとんどいないので、揉めます。
恩返しの少ない人ほど、親をいじめてきた人ほど、遺産を貰えなくなるのは、当然の結果です。
また、その「遺産」を分けた形でも、管理維持して次の世代に継承してほしいのです。
何もお家断絶は、侍や商家だけのものではないのです。


民法上・・・

民法904条「寄与分」は、この恩返しその物とは意味合いを異にしますが、本来は、この寄与分をもって相続の遺産授与の権利をなすことを法規上一番先に規定してあってもいいはずではないでしょうか。
実際は、寄与分がなくても、遺言書もなければ、法定分割で相続財産は、分割されてしまいます。(先般、寄与分に付いて変わりましが)相続人が、平等に、相続するのは法定的にも、理路整然であれば正しいように思われますが、それはやはり、法律効果でしかありません。
個人の財産が、個人所有のものである限り、分割方法に法律が倫理を取り入れる時は、一部にすぎません。
また、民法878条「扶養義務者」は、その1項において、「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養する義務がある」とあります。これは、本来そうであってしかるべきことを、明文化していますが、事件性を露呈しない限り、単なる、倫理規定化してしまいます。
遺産を分けて受け継ぐに際しても、この条文は人たることの意味も含めて、意味があり、当然の義務を明文化しています。