意見書の必要性
意見書の必要性、
講演などにおいてはアンケートを求めるのが常識化しています。
また、「質問書」というのは、多くの場所で有ります。
質問書がなくても、質問時間を設けて質疑応答が行われます。
しかし、「意見書」というのはほとんどありません。意見を書くときは、アンケート用紙がある時に最終欄において書くことがほとんどです。
「それでもいいでしょう」・・・かもしれません
アンケート(用紙)があれば、今後の企画にはうってつけの資料になります。
このアンケートは研修でも、総会でも、本来は、あってしかるべきものです。反省の意味としては、毎日書く日報とおなじです。まとめて後で反省会議をするのも大事ですが、毎回やる反省は新鮮なだけに、もっと大事です、
それに、いつも質問だけがあるのではないのです。アンケートが、反省と企画を促すことに有るように、意見書も同じ効果を持ちます。
誰しもが意見を持っていて言いたい事が一杯あります。
会社には役員会議があるように、社員会議又はそれに代わる社員からの意見投票箱があってもしかるべきなのです。そこには、個人の疑問や不満を解決するだけでなく、会社全体の発展に関わるアイデアなども含んでいると言う事の認識が必要です。
「意見は口から直接言え」というのは、当然であります。でも、誰しも恥ずかしいとか、他の人前では言いにくいと言うのは常です。
また、「打つ釘は打たれる」をモットーとしていませんか。
よく「伸びる会社」という言葉を聞きます。
伸びる会社というのは、一つには社員全ての参加があるからですが、いいかえれば、その会社の株一つ持っていない社員としても、1人1人が経営者意識を持つからです。誰しも、自分の会社となれば、しっかりやろうという意識になります。ところが、何一つ意見が言えない又は言っても取り上げられることが全くないとすれば、一社員にとっては、給料を得るだけの仕事先になりやすいでしょう。
時として、全体意識を高めるために、合同で行う祭事や行事また、あいさつなどを求めますが、一方通行であることが多いものです。
では、「求めるだけですか?」
相手に何かを求める時はそれに対しての「お返し」が無いと、それ以上の発展性は望めません。これが「ウインウイン」の関係というものでもあります。
「滅私奉公」・・・昔の様に、奉公する事自体が仕事であって、その見返りとしての報酬が無い又は少ないと言うのは、現在、通用しません。勿論その考え方はある意味大切です。「仕事をさせてもらう」とか「学びの場」という考えは、物事の基本として大切な事でもあります。
しかし、人は生きていかねばならないので、そこには、それだけの報酬が必要です。それが、給料であり、受益分です。
又、当然ですが、意見も賛成だけでなく、反対意見もあるから、意見の存在意義もあります。いつも賛成ばかりなら、うまくいくかと言えば、そうでもありません。むしろ、反対意見の中にこそ、発見があります。だから進歩もあります。
「質問書」だけでなく、アンケートが無いのなら、「意見書」を作りませんか。
「意見投票箱」を作ってはどうですか?