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「宇田川源流」<現代陰謀説> すでに都市伝説にもなった「プーチン影武者説」「プーチンサイボーグ説」に本人が言及

2020.03.05 22:00

「宇田川源流」<現代陰謀説> すでに都市伝説にもなった「プーチン影武者説」「プーチンサイボーグ説」に本人が言及

 陰謀論などの中でもっとも面白いのが「影武者」説である。昔から「本人のそっくりさん」を連れてきて、その人に身代わりにさせることによって、例えば危険から身を守ったり、あるいは、イメージを変えたりというようなことを行ってきている例は少なくない。

日本で影武者で有名なのは、「武田信玄」であろうか。まあ、これも「武田信玄が本当に影武者を使った」かどうかは別の問題で、昭和55年の映画「影武者」が有名になったという方が正しい。

映画影武者の監督は黒澤明、主演は仲代達矢であり、第33回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞している。戦国時代に小泥棒が武田信玄の影武者として生きる運命を背負わされた悲喜劇を描く作品であり、その映画のイメージが非常に強く、影武者といえば武田信玄というような感じになる。まあ、実際に、三方ヶ原の戦いの後、武田信玄は倒れて上洛軍を引き上げざるを得なかったが、その時に死を秘していることなどから、この作品のイメージにつながっているのではないか。

 実際に、戦国時代などにはそのようなことが非常に多く出てくるのであるが、古くは古代メソポタミアの身代わり王や、秦の始皇帝が巡幸中に死んだあとその死を秘して都に戻るなど、古今東西を問わず似た事例が見られる。

戦乱の時代では、戦闘に際して部下に武将と同じ衣服や甲冑を着用させて敵方を欺き、陽動作戦を行なったり、武将が自らの戦病死や不在を隠すために用いられた。写真がない時代では、名の知られた武将や権力者であっても人々が顔を知っているとは限らず、有効な手段であった。

慶長元年(1596年)、武田氏の旧臣6名によって書かれた『曲淵宗立斎等言上書』によると、武田信玄と同装した影法師が3名定められており、実際に平生の行事や戦場で活躍していたという。

「影武者」提案あったが拒否=プーチン氏明かす―ロシア

 【モスクワ時事】ロシアのプーチン大統領は27日公開のタス通信のインタビューで、ロシアでテロが頻発した2000年代初めに、暗殺から逃れるための「影武者」を置くよう提案されたが、拒否していたと明らかにした。

 プーチン氏は「(提案は)あったが、拒否した。テロとの戦いが最も困難だった時代だ」と振り返った。プーチン氏は当時、ロシア南部チェチェンの独立派武装組織に強硬姿勢で臨んでいたため、02年にモスクワ劇場占拠事件(約130人死亡)、04年に北オセチア共和国ベスランの学校占拠事件(約330人死亡)など大規模テロが起きた。

 インタビューでは質問者がインターネットで関心が高い項目の一つとして、プーチン氏に影武者の有無を尋ねた。プーチン氏の大統領就任から今年で20年となることから、タス通信は今月20日から全20回にわたるインタビューの配信を始めた。

【時事通信社】2020年02月27日 18時32分 時事通信

https://news.nifty.com/article/world/worldall/12145-577553/


 近現代でも影武者の存在は取り沙汰されており、特に独裁的権力者は、自分の地位や権力を常に脅かされる可能性が大きいので影武者が必要と考えられ、その存在が話題に上ることが多い。

アドルフ・ヒトラーは、連合国軍(ソ連軍)のベルリン占領直前の1945年4月30日に自決したが、遺体は焼却されて本人確認ができないほど破損し、しかもソ連軍が持ち去ったため、ベルリンで死んだのは影武者で、本人は南アメリカ他に落ち延びた、とする説が現在も一部に残っている。


さて本日の主題になるのがウラジーミル・プーチンである。プーチンはもともと情報部に所属していたが、その後サンクトペテルブルグの副市長になり、ソ連崩壊後エリツィン大統領の時代に、ロシアの主将に就任する。その時にエリツィン大統領は自分の後継者としてプーチンを指名していた。

しかし、国内の反対派に対する強硬な姿勢やチェチェンに関する様々な攻撃に関しては反発も多く、公表されているだけで過去五回暗殺未遂事件が起きている。

2000年2月24日 - サンクトペテルブルクでのアナトリー・サプチャークの葬式時。ロシア連邦警護庁(FSO)によれば、チェチェン独立派が背後に立つ某組織が計画した。「標準より際立った保安措置」により計画は阻止された。

2000年8月18日~19日 - ヤルタでの非公式のCISサミット時。国外より情報がもたらされ、チェチェン人4人とアラブ人数人が拘束された。

2002年1月9日~10日 - アゼルバイジャン、バクーの公式訪問時。アゼルバイジャン国家保安省により阻止。アフガニスタンで訓練を受け、チェチェン独立派と関係を有するイラク人、キャナン・ロスタムが逮捕され、懲役10年を言い渡された。

 2008年3月2日 - モスクワでのロシア大統領選当日。ロシア連邦保安庁(FSB)が察知し、直前に阻止した。現場からはライフル銃やカラシニコフ銃などが発見され、タジク人1名が逮捕された。

 2012年2月27日 - チェチェン共和国などの出身の男2人がイスラム過激派の武装勢力の指導者の指示を受けてウクライナで爆弾の製造など暗殺計画を進めていたところ、ロシアとウクライナの捜査当局による別の爆発事件に関連した調査から発覚。

これらの事件の背景には、イスラム教徒またはチェチェンの組織があり、そのことによって、「影武者」説が出る。まあ、プーチン大統領に関しては、その時から様座な影武者説があり、その影武者説の中においては「プーチン大統領はサイボーグである」というようあ内容もあるくらいである。

 しかし、実際にそのような話があり、またプライベートがあまり公開されていないことなどから、現在も影武者説がない。

さて今回面白いのは、本人が「影武者説」に言及し、なおかつそれを否定していることである。もちろんその否定の言葉が信じられるかどうかは別であるが、しかし、そもそも自分が「影武者説が出る」くらい危険な仕事をしていること、そしてその説を否定することによる「自分の権力の強さ」を誇示することができる。

そのうえでその内容をいかに考えるのかという事が問題になる。ある意味で「影武者説があることを知り、それを利用して政治パフォーマンスにする」というのはなかなか面白い。逆に言えばそれができるほど安定した基盤があり、その安定した基盤が少し揺らいできているから、そのようなことをしっかりとアピールしたと考えるべきではないか。