黄金帝国4-オランダ独立戦争の開始
2020.03.04 11:03
オスマンに勝利したフェリペ2世は、ネーデルランドに対しても強気に転じた。1565年10月、フェリペはセゴビア離宮から、異母姉のネーデルランド総督マハレータに、異端取り締まり実施の手紙を書いた。この手紙に貴族達は200~300人連盟で請願書を渡した。この時議会議長が彼らを「物乞い(へーゼン)」と言ったため、彼らは自分達を「ヘーゼン党」と称する。
翌66年、総督は請願に応えて寛容を約束したが、今度はカルヴァンの過激派が動き出し、8月偶像崇拝を非難する説教集会を行って、聖像破壊の実力行使を行った。オランイェ公ウィレムは中間派で、融和に努めた。
ところが総督はこれを機にスペインの支援を得て、教会破壊の武力鎮圧、その後も治安を強化したため、危険を感じたウィレムはネーデルランドを離れ、故郷のドイツに逃れた。本国のフェリペは、懲罰軍を送ることを決め、アルバ公以下1万人が67年8月にブリュッセル入りした。
アルバ公は新総督となり、兵力を6万7千人にまで増大し、1100人余りを処刑した。中間派貴族も財産を没収され、ウィレムも欠席裁判、さらに長男が逮捕されてスペインに連れ去られた。ここに至りウィレムはついに武力闘争を決意した。オランダ独立戦争の開始である。
下はオペラ「ドン・カルロ」よりフェリペ2世とネーデルランド代表の交渉