壮麗帝の挑戦11-スレイマン戦場に死す
2020.03.05 11:02
マルタ島奪取に失敗したスレイマン大帝は、欧州に対して威信を示すべく、70歳を越えた老体に鞭打ってハンガリーをめざした。しかしブタ南方のセゲド要塞の攻略中1566年9月7日、戦場で崩御した。大宰相ソココル・メフメット・パシャは、信玄よろしく大帝の死を隠して撤退した。
大帝はライバルのカール5世と同じく、世界帝国主義者であった。事実彼の時代、ムガール帝国がインドを制覇し、イスラムは内陸では世界帝国と称しても過言ではなかったのだ。しかし両雄の死と共に、欧州は分裂し、イスラムは欧州と分離するようになっていく。
大宰相は、ベオグラードで息子セリム2世に大帝の崩御を伝え、そのままイスタンブールに引き上げた。しかしイェニチェリ達は軍事俸給を要求して示威行動を起こし、大宰相が反乱分子を処刑してようやく収まった。もはや侵攻どころではなかった。
新スルタンは宰相に権限を渡し、大宰相中心の統治システムがつくられてゆく。しかし同時に神聖ローマ新帝マクシミリアン2世と講和協議を行い、地上での国境を画定させた。しかし海上ではそうはいかない。カトリック絶対主義を奉じるフェリペ2世との戦いが待っていた。
下は最後の戦場に臨むスレイマン最後の演説