四海のまとめ
正経が川であるならば、四海は海ということでしたが、十二正経の経絡とは違う大きな流れがあるということでした。
正経は内臓と関係があり、四海は、足首や手首から見た身体全体のアンバランスなのではないかと言うことです。 つまり、同じ人間であっても見る視点が変わることによって、流れに大きな変化があるということです。これは正経だけが経絡の流れではないということを意味しています。
海も十二正経の流注と同じように、浅層を流れたり、深層を流れたりして、身体全体と深く関わっていますが、個人的に浅層と深層を流れる流れ方は違いがあります。
ある人は、手足の末端近くから深層を流れる人がいたり、全体的に浅層を流れる人もいます。
大きな流れとして、身体前面の血海と髄海、後側の気海と水穀海という区別ができます。これが足首においての前後左右のアンバランスをあらわしているのではないかということです。
当然、足首のアンバランスは、身体全体に影響を与えます。 また、どの海の異常があるのかを最初に調べておくと、どの方向に変化が起こりやすい身体なのかということも予測がつきます。
これは、重力としての身体のアンバランスがどの方向にあるのかと深く関係しているということです。
内臓から見た経絡、重力から見た海という表現に置き換えることができるだろうと思います。 四方向のアンバランスということから、前後左右に関係し、これが身体を縦に四区分したような流れになっているということです。
昔の書物で手根足根針という本を読んだことがあります。これを思い出して、見返してみると全く同じような経路があることに気づきました。
髄海の頭部周囲の変化は違いますが、ほぼよく似た経路がある見たいです。ただ、手根足根針の考え方からすると、六つの層があるとされていますが、四海は四つの方向です。
非常に類似していますが、同じではありません。
また古典においての四海の考え方とは違い、身体の前後左右のアンバランスと関係しているということです。髄海が髓の海であるというような表現とは不一致になりますので、私の感じた海が古典の意味する流れであるとは言い難いかもわかりません。ただ臨床的には、この方が扱いやすいという利点があります。きっと古典の海との類似性もこれからわかってくるだろうと思っています。
類似したものが昔の書物に残っているというのは面白いですね。 私は、自分で調べたことしか興味がないので、昔の人が、類似したものを書いているというのは、それはそれで面白いなと思いますが、その考えに合わせようとは思いません。
なので、古典を読んでも、無理やりその内容に合わせようとは思いません。
あくまでも自分が実感したものが全てだと言う考えがあり、一つ一つ自分の手で調べて行くことが、臨床上の大きな一歩になると信じています。 そうでなければ、実感することはできませんからね。
人の考えたことは、あくまでも人の考えです。私の感じたものとは違います。しかし、類似したものになるということです。鍼灸をやって古典をやると言うのなら、自分の感じたものがある必要がありますが、古典をやる人程、古典に合わせようとして、自分の考えや感じたものを軽視して仕舞いがちになります。そんな人を私から見ていると苦しいだろうな~といつも思っています。
昔の人は、ヒントを残してくれています。しかし、あくまでもヒントであり、全てではありません。だからどれが正しいなんて、誰にも言えない訳です。それなら、自分が実感することの方が遙かに尊い。