「日曜小説」 マンホールの中で 2 第三章 4
「日曜小説」 マンホールの中で 2
第三章 4
この日、善之助はなかなか寝付けなかった。
予定通りならば今日、善之助の家に夜中次郎吉が忍び込んでくることになっている。いつもは物音で目が覚めたり、あるいはよるトイレで目が覚めて起きてみると気配がするということがほとんどであった。しかし、次郎吉が小林さんのところでやっている展開は、なかなか面白く、今までのことを思い返してみるだけでもかなり面白い。推理小説の実写版のように、次が気になって眠ることができないのである。
「爺さん、眠ることができなかったのか」
入ってきて、居間に座っている善之助を見て、次郎吉は驚いたように声をかけた。目が見えない善之助のことであるから、次郎吉がどのようにして、どこから家の中に入ってきたかはよくわからないだろうし、カギを開ける技術なども盗まれる心配はない。しかし、泥棒の習性として、中に入った時に、人が起きて待っているというのは、あまり気持ちの良いものではない。
「ああ、眠ることができんかった」
「そうか。まあ、わからないでもないが体に障るぞ」
「大丈夫だ。私の場合、昼間寝ていても誰も気にしないからね」
「あまり長い時間寝ていると、死んだのと間違われるぞ」
「そりゃそうだ」
二人は笑った。まあ、間違ったことを言っているわけでもないし、それくらいで目くじらを立てて怒るほどの関係でもない。マンホールの中で、生死を共にした中なのである。いわば戦友である。
「何か動きはあったかい。爺さん」
数日前に、河口堰のマンホールの中で聞いた話がどうなったかということが気になっていた。
前回は、一緒に小林家の中の様子を盗聴マイクを元に聞いていたのである。実際はカメラもあったのであるが、善之助にはカメラの映像は見えない。そのために、音声だけを楽しんでもらったのである。
音声は、本物の宝石が庭の祠の中にあるとは知らず、嫁が金庫を開けて宝石を盗み出した。しかし、その偽物の宝石が、次郎吉の仕掛けた発煙施設によって煙を吐き、そして、その化学反応の熱で持てなくなった嫁さんが池の中に宝石箱後ぶち込んだ。しかしさすがに宝石がほしいので、池の中に飛び込んだら、発煙システムの化学薬品で、服がまだらに漂白されてしまったのである。
その時の独り言の一部始終がすべてマイクから小林婆さんの耳の中に、いや補聴器の中に入っていたということになったということになる。もちろん、嫁さんは電波発信機やそれにつないでいたはずのスマホのアプリを起動していなかったであろうが、しかし、次郎吉が仕掛けたマイクですべてが聞かれてしまっていた。
いや、勘がよい人ならば、今まで幽霊と思っていた正体は、すべて嫁さんであったということが気づくのではないかという状態なのである。
その後も、嫁さんの小林婆さんに対する罵詈雑言が続いた。「全く何なのよ、この仕掛け。あのババア、私が幽霊って言っていたのかしら」とか「宝石の箱の中にこんなものを仕掛けているなんて、全く許せない。すべて金にしたらあのババア殺してやる」など、まあ、ひどいものであった。
「いや、しかし、小林さんは何も言わなかったよ」
「なるほど」
「何か言うと思っていたのが、本当に何も言わなかった。さすがにこっちが知っているなんてことは言えないから、こっちも期待していたのだが」
「逆に、何か言って悟られなかったか」
「ああ、よく言うだろう『目は口ほどにものを言う』と。私のように目が見えないジジイは、口よりもモノをいう器官がないから、まあさとられる心配はあまりないんだ」
「そりゃ、便利にできてるな。目が見えないということを、そこまで良い意味で使っているのは爺さんくらいだよ」
次郎吉は苦笑いをするしかなかった。さすがに、今の段階で、善之助が全部仕掛けているとばれてしまうのは面白くない。せっかくボランティアでやっているのであるから、もう少し楽しんでから幕引きをしたいものだ。
「それが、嫁さんはどうも偽物の宝石をどこかにもっていったらしい」
「どこに、売れないだろ」
「ああ、あれを売りに行ったら、子供のおもちゃを持ってきてもといわれて、いい人ならば10円くらいはくれるかもしれない」
「ではどこに」
「当然に、ホストのところだよ」
「ホスト、あの隣町のか」
「ああ」
小林の嫁は、何かケチがついたものを家においておくのが怖くなったのか、宝石をそこかにおいて家で着替えると、そのまま宝石と財布をもってホストのところに行ったのである。そして宝石を渡してまた遊びに出たらしい。
「ホストに、あんたに上げようと思ったのに、椅子の下か何かに落として警察にもっていってくれたんだってって、甘い声を出していたよ」
「ホストはなんといっていた」
「そりゃ、あのホストは何も知らないんだからね。まあ、あのホストは、たぶん自分で拾っていたら、小林の嫁さんが持ってきたものだということも気が付かなかったであろうし、当然に、自分の懐に入れていただろうね。まあ、ホストなんてキャバクラの姉ちゃんと同じで、金を持っているならばそんなことはしないんだから、少しでも金になったら、そんなもの、警察なんかに届けるわけないだろう」
「まあ、そうだな」
「夜のホストもキャバ嬢も、客は自分がモテていたり、自分だけが愛されたりというような錯覚をしているが、実際は、一万円札や貢物がモテているのであって、持ってくるものなんて全く関係ないからね」
心理をついている。確かにそのようなところである。
しかし、次郎吉などはそのよう事をどこで学んだのであろうか。そのような疑問は、普通は飲み込むのであったが、善之助は、次郎吉に対してだけはすぐに口に出てしまうのであった。
「どうしてそんな夜の商売のことがわかるんだい」
「そりゃ、日陰の商売をしているものは、日陰の中に入っているもののことはよくわかるさ。まあ、同じ『鼠の国』の住人だからという方が正しいかもしれない。といっても爺さんは許してくれないだろうからな。本当のことを言えば、ホストやキャバ嬢が俺たち泥棒の情報源の一つなんだ」
「ほう。情報源ねえ」
思わぬことを次郎吉は話し始めた。
「そりゃそうだ。そもそも泥棒というのはやみくもに泥棒に入るわけじゃないんだ。当然に町中で情報を得て、その情報をもとに自分の足で調べて、その中から楽な標的を選ぶということになる。まあ、楽なんて言ったら怒られるから、いまならば身の丈にあったとか、実力に見合ったなんて言い方になるがね。そこで金持ちだけ、それも、キャバクラやホストクラブで何か自慢話をしていて自分の狙っているようなもので実力にあったものを聞き出すんだ。もちろん客として入る時もあれば、そうではなく、裏口かどこかで会うこともある。こっちは小遣いを上げて話を聞くし、それに当然に秘密を共有しているから深い付き合いになるんだよ」
「なるほどね。泥棒様はそうやって情報を取っているのか」
「ああ、だから情報が偏る、まあ変な言い方をすれば、そのホストの人気のあるとことや、住んでいる場所、その顧客、まあホストならば熱を上げている女が何を持ってきたかとか、どれくらい金を持っているかとか、そういうことを聞いて情報をとるんだよ」
なるほど、泥棒はそういうような感じで情報を取って、そして目星をつけてから盗みに入るということなのか。それだから、闇雲に手あたり次第家の中に入るわけではないのである。
「それでも、中で張り合わせしたり……」
「コソ泥とか、外国人が生活に困って盗みに入るのとは違うよ。プロはプロ」
「そうだったね」
「それで、小林の嫁さんのことは、あのホストに聞いておいたよ。まあ、昔情報くれてたやつだからね。」
「知り合いなのか」
「そうだった」
全く悪びれずに次郎吉は言った。
「あの嫁さんはなんといっていた」
「小林の家があまり金をくれないって愚痴を言っているらしい。ただ、不動産は息子が事業に失敗してかなり手放してしまっていて、小林の婆さんが持っている不動産管理が収入源ということだ。会社で管理している金とかはほとんど売ってしまっているか、旦那が隠してしまって、結局あの嫁さんは、家計費の中からへそ食ったものしかない。それで遊ぶ金が欲しくなって今回のことをやったらしい。まあ、ホストに対して嫁さんが愚痴ったことだから信用できるかどうかはわからないけどね」
「そうなんだ」
今まで金持ちと思っていた小林家の資産がそんなことになっているとは思わなかった。栄枯盛衰とは言うが、確かに小林さんの息子は、あまりで気のいい方ではなかったような気がする。
「それに、あの息子はキャバ嬢に熱をあげているらしく、全く家に帰らない。まあ、血のつながっていない婆さんと嫁さんが二人で家の中にいるんだから、そうなっても仕方がないという感じなのかな」
「泥棒やっていると、そうやって他人の家の中のことがよくわかるのか」
「ああ、家の中のことがわかり、相手の性格がわかるから、いろんな方法を考えられるんだよ」
「で、今回はどんな手を」
「そりゃ、ねえ」
次郎吉はにんまり笑った。