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私の価値観を変えた東日本大震災

2020.03.08 07:04

こんにちは。

店長のちゃーこです。

 

間もなく3月11日を迎えますね。

 

今年もあの日を思い出さずにはいられない時期がきました。

東日本大震災が起こったあの日、みなさんそれぞれの場所で、それぞれの体験をされたかと思います。きっと大変な思いをされた方もいらっしゃいますよね...。


あの震災をきっかけに私は今まで持っていた価値観を手放し、家族と共に震災から一年後、熊本に生活を移しました。

あれから9年。

今でもあの日のことを、私は鮮明に覚えています。

 


 

その日私は渋谷にある勤め先でいつものように仕事をしていました。

突然ガタガタンと大きな揺れを感じた時、私はビルの13階にいました。


「地震だ!」


そう思った時にはビルは大きく揺れ、私は床に倒れこみました。

なんとか壁に掴まりながら窓の外を見ると、隣のビルではロープに吊るされた窓の清掃員が振り子のように激しく揺さぶられていました。

「どうか、落ちないで!」

デスクの下に潜りながら、私はひたすらその清掃員の無事を祈っていました。

それ以外には、何も考えられませんでした。


今何が起こっているのか、

この後どうなってしまうのか、


そんなことを考える余裕は一切なく、

身を縮こませながら、


今まさに窓の外で空中に揺さぶられているひとりの清掃員のことだけを、

ひたすら考えていました。

 

 


 写真:渋谷の風景




揺れが収まって私が再び窓の外を見ると、

その清掃員はまだ揺れ動いてはいたものの、落ちたりせず無事でいました。

私は安堵して、そして全てが無事に収まったかのように錯覚しました。


ひたすら非常階段を下りながら、

ビルが大きく揺れただけで、もしかしたら下の階はそんなに揺れていないかもしれない。

地震があったことなんて、誰も気に留めずにいるかもしれない。

そんな風に楽観的に考えていました。

 

ところが、やっと1階にたどり着いた時、ロビーには想像以上の人数が集まっていたので私は驚きました。近くを歩いていた通行人もビル内に避難してきていたのかもしれません。


その時大きな余震がありました。


ゴゴゴゴという大きな地響きに、先ほど上階で感じたのとは違った感覚を体験しました。

地面に近いところで感じる地震のほうが、とてつもなく怖かったのを覚えています。

 

ロビーに臨時にスクリーンが運ばれてきて、ニュースが映されました。

そこには炎に包まれながら、民家が津波で流されている光景がありました。

その地獄のような映像を観ながら、

私はとてもこの世の出来事とは思えず息を飲みました。

何が起こっているのか、全く理解できていませんでした。

 

家族や友人の誰に電話をかけても、全く繋がらない。

何が起こっているのか分からない、

分からなくて怖い。

 

それはとても自分では手に負えないほどの大きな恐怖でした。

 



 

 

写真:渋谷の街を行き交う人々。

※震災のあった日の写真ではありません※




同僚や多くの人がそうするように、私も勤め先から自宅まで歩いて帰ることにしました。

駅やバス停はとてつもない数の人々でごった返しており、

歩く以外に選択肢はありませんでした。

 

途中のコンビニではすでに買い占めが始まっていて、空いた棚が目立っていました。

未だかつて見たことのないおびただしい人数が、東京の道路を埋め尽くしていました。

 

私は数時間かけてようやく帰宅することができましたが、当時一緒に住んでいた妹は帰宅するまで数日かかりました。

 

その後も余震はしばらく続き、ニュースからは毎日悲しすぎる映像や情報が流れ続けていました。

 

「放射能の雨が降る!」


「性犯罪があちこちで起きている!」


「流通が滞るから買いだめをしなさい!」


 

 

嘘か本当か分からない話が行き交い、

そんな話を聞くたびに、私は翻弄されました。

 


実際に夜中にガス会社を名乗る男性がアパートを訪ねてきた時は、

玄関の前で、妹と肩を寄せ合って震えました。

その時私たちは結局玄関を開けることはしませんでした。

 

余震がくるたびに私は飛び起きて、ベランダの窓を開けました。

地震で部屋が歪めば二度と出られなくなってしまう気がして、熟睡することができなかったのです。

 

そしてさらに私が恐怖を抱いたのは、

原発がメルトダウンを起こしたかもしれないという恐ろしい一報を受けた時でした。


ニュースを見てもネットを見ても、

確かな情報がどこにあるのか分かりませんでした。

分からないから怖い。

でも、どうすればいいのかも分からない。

 

私は放射能によって海も空気も食べ物も、みな毒されてしまうのではないかと心配して、ノイローゼのようになりました。

 

今でも放射能の害についてははっきりとは分かりませんが、

でもこのことをきっかけに、


暮らしの安全


について私は深く考えるようになったのです。

 

写真:健康につて勉強し始めてから大好きになった酵素玄米。



 

私のようにこの震災をきっかけに生活ががらりと変わってしまった方は多いと思います。

生活に変化がなくても、

価値観や、生き方が、

以前とは違うものになってしまった方はいるのではないでしょうか。

 

あの震災が起こって、私は自分の生活がどうあるべきかを考えるようになりました。

 


都会の道路でおびただしい数の知らない人間同士の波の中を歩いたこと。


今までろくに連絡もとりあっていなかった家族のこと。


いつだって安全な食や水が簡単に手に入ると勘違いしていたこと。

 


大自然は大きな力を持っていて、私たちの命はそれによって生かされ、また奪われるということ。


しかし、自然以外によって、

たとえば誰か個人の欲望によって、

私たちの生活は脅かされるべきではないということ。

 

子供達には、安心できる未来が用意されるべきだということ。

 

これらのことを考えて、

私は本当の意味での豊かな生活を探し始めました。



 

どんな土地に暮らして、

そんな仕事をして、

どんな人間関係の中で生きるのか。

 

どんなものを食べて、どんなものを飲んで、

どんな身体を形成するのか。

 

そして子供たちの未来の為には、

何が必要で、何が不必要なのか。

 

 

この震災から一年後、私たち一家は熊本に移住しました。

同じように豊かな生活を追い求める方が全国にはいらっしゃって、

みなそれぞれのやり方で理想の暮らしを追い求めていると思っています。



 写真:阿蘇の風景





田舎暮らしの良さもある一方、

都会での暮らしは華やかで魅力的、仕事も楽しかった。

けれどもそんな生き方は諦めるしかありませんでした。

 

今でも震災が起きず、仕事を続けていられたら、と思う事があります。

原発さえ爆発しなければ。

 

でも、震災は起きてしまい、

 

私は田舎暮らしを選択しました。

 

そして菊池市という素晴らしい場所に出会い、

夫と出会い、子供たちという宝物を授かりました。

 

だから、後戻りすることなんて考えられません。

 

それでも、あの日一緒にあの苦しさを乗り越えた皆の事はよく考えます。

 

今でも東京で頑張っている人たち、

同級生や多くの友達が東京で暮らしています。

 

幸せでいて欲しい。

熊本の田舎から応援したい。

 

何が正解とかじゃなく、あの日の体験を糧に、

理想の未来を掴み取る事は、どこで暮らしていてもできるはずだから。

 

私は今でもあの日の仲間たちと一緒に戦っているつもりです。

 



理想の未来の為に...。




 

ご拝読頂きありがとうございました!

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