そういう時があったということ
今日、3/8に川崎の集まりでベートーヴェンのソナタ4番 Op.102-1を弾かせていただく予定でした。
1週間前にこの会は中止になって、でも私は「はい、じゃ終り」って、急に練習をやめることもできなくて、この行き場を失ったベートーヴェンをやはりこの1週間毎日少し触って過ごしてました。
全然ことの深刻さが違いますが、急に「はい、戦争終わりました。」って言われてすぐに適応できなかった兵隊さんの気持ちもわかる気がします。
これで終わりというわけではないのもわかっているけれど、今回どう終了したらいいかわからない感じです。いろいろともう少ししたら実現できそうな気がしたこともあるけれど、やはり本番というパワーはすごいなと思いました。そういう期限があると頑張れるというか。
きっと今回は時間がたって少しずつうやむやになって終わるのでしょう。
今朝、目が覚めた時に、そう言えばベートーヴェンがこの曲(と5番)を作曲していたころ、チェリストのヨゼフ・リンケに、朝弓を持って来てほしいと書いた手紙があるとどこかで読んだけど、それはどこだったかが気になりました。
ふとんの中では結局思い出せなかったけど、その手紙のことや「そういう時があったということ」に思いを馳せていました。
このソナタが生まれるときがあったのだということを。
1815年。
200年以上もこの曲が生きるとはベートーヴェンも思っていなかったかもしれない。
そして、夕方にインターネットで再び見つけました。これだったと思います。
手紙というか、小さなメモが存在していて、ドイツ語で以下のように書かれているそうです。
Lieber Linke
erzeigen sie mir Die Gefälligkeit Morgen früh bey mir zu frühstücken, so früh, als sie wollen, Jedoch nicht später als halb 8 uhr – bringen sie einen Violonschell Bogen mit, da ich mit ihnen zu reden habe –
ihr ergebenster Diener
ludwig van Beethowen
Für Herrn Von Linke. Virtuose auf dem Violonschell
Dear Linke
Show me the courtesy of having breakfast with me early in the morning, as early as you want, but not later than half past seven - bring along a violoncello bow as I have to talk to you -
you most devoted servant
Ludwig van Beethowen
For Mr. Von Linke. Virtuoso on the cello
と出てきます。
リンケさん、
朝早く私と一緒に朝ごはんを食べにいらしていただけないでしょうか。あなたの好きなだけ早くていいです。でも7時半までにいらしてください。 ご相談したいことがあるのでチェロの弓を持って来て下さい。
あなたの心からのしもべ
ルードウィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
チェロの名手のリンケさまへ
っていう感じでしょうか。not later than 7時半って7時半以降じゃなくて7時半以前ですよね。えらい早いですねぇ。
ともあれ、そうやってこのチェロ・ソナタ4番と5番は、リンケというチェリストが朝ごはんをベートーヴェンと食べたあと、最初に弾いてみて、何らかの修正がされたりして生まれたのですね。
たぶん、1815年の春だろうと注記されています。そんなに技術的に弾きにくいところがないのは このリンケさんのおかげかもしれないです。
ラズモフスキーのカルテットもこのリンケさんがチェロを弾くカルテットで初演されていると思うのですが、そのころはまだあまり親しくなかったから何もベートーヴェンに言えなかったのかしらとか、ふと思いました。まあいいです。
そんなときがあったということを思うと、心が打たれます。
たくさんある普通の朝のひとつだったかもしれない。
記録されてもいない「そんなとき」もあり、また普通の人たちの「そんなとき」、無数の「そんなとき」が降り積もりながら、営みが続けられていくのだと思ってみると、そのひとつひとつが愛おしく思えました。