建国理念。世界を融和に
https://honno.info/kkan/card.html?isbn=9784768458730 より
内容紹介
私たちの国がいつ「日本」となったのか、小学校や中学校では何も教えてくれません。
本書は、まず内外の史書を駆使し「日本という国家の誕生」の瞬間を絞り込むことから筆を起こします。そのとき、中国・唐の地で何があったのか。「日本」と命名した理由とは? 「日本」誕生と大王が天皇となるのはどちらが先か。「天皇」という称号の思想とは?
次に、「日本」という国家が誕生したとき列島に何が起きたかを見る方法として、東国と呼ばれる関東を中心とする地域に焦点を当て、文献や考古資料などから解読を進めます。
そこから浮かび上がってきたのは、貴族が民衆と一緒になって巨大災害に立ち向かっていく姿であり、わけても渡来人の多方面での活躍の様子が見てとれたのです。石碑から読み書きできる日本語の誕生の姿が確認され、仏教が日本人の心性を揺り動かすあり方も見えたのです。律令国家・日本の内実を問う試み。
目次
はじめに――危うい「祝日」がひもとく史実
第一章 日本という国家の成立
「日本」はいかなる情勢の中で誕生したか
倭から日本へ――国号公認は一大事
「日本国」命名の年号を絞る
「日本」命名に先行した「天皇」という称号
「天皇」称号の思想――天武朝という時代
治天下大王から御宇日本根子天皇へ
補論1 「国民」にとっての国号は「やまと」
第二章 天・東・夷――入れ子構造の「日本」
天の一族――治天下の思想と論理
天下百姓・天下諸国への道程
兵員編制で成立した天下諸国
特別な地域としての筑紫と東国
天語歌(あまがたりうた)――夷に面する最前線・東国
「日本国」誕生を見る窓
補論2 「上野」を「こうずけ」と読む理由
第三章 東国で国家を準備した者たちの出自と伝承
稲荷山古墳の鉄剣が語ること
毛人と東国――浮かび上がる上毛野君とその一族
上毛野君形名の妻が語る「水表の政」
上毛野君始祖伝承と交差する渡来人の影
文化・経済面でも朝鮮半島と深いつながり
東国を成り立たせた貴族たちの出自
第四章 東国貴族の登場――東国六腹朝臣
東国派遣の二類型――征討・帰還型と善政・移住型
移住・定着の出鼻を襲った大災害
火山災害復興の中で――上毛野君の登場
上毛野君の拠点と思想――正八角墳の謎
前方後方墳から前方後円墳へ――下毛野君の登場
車持君という氏名の謂れと展開
佐味君――南大和、越前、そして緑野郡・那波郡
池田君――河内国・和泉国からの展開
池田君の跡を継いだ上毛野坂本朝臣
大野君に関する仮説――埼玉古墳群をどう見るか
第五章 東国貴族と日本という国家の成立
八大貴族集団の一角を占める東国六腹朝臣
律令撰定の中核となった下毛野朝臣古麻呂
史書編集に関わり続けた上毛野君同祖氏族
蝦夷政策の最前線に立ち尽くして
人民永安――大野朝臣東人と田辺史難波の行動
東国民衆と「夷狄」地経営
渡来集団定住の地としての東国
藤原不比等を育てた車持君・田辺史
神宮となった鹿島・香取の神の社
第六章 結びつける力――日本語・地域・仏教と東国
民の視点を今に伝える世界の記憶・上野三碑
《読み書き》できる日本語の成立――山上碑の語る世界
新しい地域を成した宣言―― 多胡碑の語る世界
血縁から志縁へ――金井沢碑の語る世界
補論3 東アジア世界に見る上野三碑の字体
補論4 元号と上野三碑
注
おわりに――日本となった東国
著者略歴
熊倉浩靖(クマクラヒロヤス kumakurahiroyasu)
1953年群馬県高崎市生まれ。1971年京都大学理学部入学。学生運動に参加し中退。在学中か日本古代史の上田正昭(京都大学教授)に師事。1975年、井上房一郎の指導の下、高崎哲学堂の設立に参画し、福永光司・司馬遼太郎・梅原猛などの講演を企画・運営し、薫陶を得る。シンクタンクNPOぐんまを設立(代表理事)。高崎経済大学地域政策学部講師、群馬県立女子大学教授・群馬学センター副センター長を経て、現在、高崎商科大学特任教授。群馬県文化審議会副会長。日本ペンクラブ会員。 著書に『古代東国の王者――上毛野氏の研究』、『日本語誕生の時代――上野三碑からのアプローチ』『増補版 上野三碑を読む』(ともに雄山閣)。他に共著・論文多数。
Facebook・ごとう 孝二さん投稿記事
I LOVE JAPAN❤️〜世界を融和に〜〜㊗️2.11建国記念日〜
「日本の建国理念は凄かった!」 質問です。 日本の建国理念って何ですか?
アメリカの建国理念は、自由、平等、幸福追求の権利アメリカ国民なら誰でも言えます。
建国の父はジョージ・ワシントンですね。
日本の建国の父は? 戦後日本では一切教えられていませんね。
日本の建国理念は、〝ひとつの家族世界の実現〟(八紘一宇)日本の建国の父は、初代の神武天皇です。建国記念日は2月11日今年で建国2680年になります。西暦より660年も長いですね。
また、令和の今上陛下は初代神武天皇から126代目の天皇陛下となります。
「日本書記」の神武天皇のところには、「八紘一宇の神勅」(はっこういちうのしんちょく)というのがあります。
「八紘を おほひて宇と為むこと、また可からずや」8はっこうを おおいて いえと
せんこと、またよからずや) 口語訳は↓
「天地四方に住むすべての者が、ひとつの屋根の下の大家族のように仲良く暮らすなら
それはなんと楽しくうれしいことだろうか」この、八紘一宇の神勅の「八」は「八百万」の「や」であり、無限の広がりを意味し、数多いこと意味するそうです。
「紘」は「冠のひも」という字であり、八方の隅から、紐をまとめて一箇所に結ぶように
まとめる意味があるようです。
すなわち、「人類の魂の緒」を八方から一つに結び合わせて、お互いの個性を尊重しながら
一つの家族のように仲良く結び合うということなのです。
古代日本民族は、魂は霊的根本において,つながっている「緒」をなし連なっていると
考えていました。
したがって、肉体は別々に見えていても、魂は一つに繋がっていると捉えていたのでした。
世界民族はそれぞれに、生活習慣、文化、言葉、環境は違って、肉体も離ればなれになっていますが、魂において、それぞれの文化や生活習慣を認めつつ、お互いに尊敬しあって、世界中、みんな「一家族の兄弟」のように仲良くしましょうと言うのが〝日本の建国の理念〟
なのです。
神武天皇によって建国されたのが「やまとの国」であって、「大和の精神」すなわち
〝大調和の精神〟が日本の建国の理念といってもいいでしょう。
戦後使うことを禁止されましたが本当の意味は〝真の平和〟世界恒久平和を意味していたのです。
21世紀になり今でこそ地球家族や世界平和と言い始めましたが日本は2600年前から人類一家族の理想を建国の理念として創建された凄い国だったのですね。
ちなみに戦前までは日本国民はみんな当たり前に知っていました。
この崇高な理想の元にみんな生活していたのです!これが日本人としての誇りでした。
世界で唯一肌の色や人種の違いで差別してこなかった国なのです。
そして1919年 大正8年に世界で初めてパリ講和会議で人種差別撤廃の提案をしたのは
なんと日本なのです。
その当時アジアの独立国は日本のみでほとんど欧米に支配、抑圧されていました。
日本の勇気ある提案に11ヶ国が賛成5ヶ国が反対
ところが議長国のアメリカのウィルソン大統領が全会一致でなくてはダメだと
否決してしまします。
しかしこの勇気ある日本の案に特に黒人諸国にも希望を与えました。
500年間奴隷のような生活を送っていた国がたくさんあったのです。
あの黒人の人種差別撤廃に命をかけた英雄キング牧師は世界に人種差別がない国があると知りキング牧師の運動に日本は大きな希望を与えていました。
日本はなぜ、人種差別撤廃に命がけで世界に訴えたのか?
それは世界はみんな家族である肌の色や人種の違いで排除するのはおかしいという日本の建国理念八紘一宇の精神があったからなのです。
日本人はもう一度建国理念の原点に立ち帰ることが必要だと感じます。
原点に立ち返る力は 自分を愛し、信じること。セルフエスティームを高めることによって回復できます。
https://ameblo.jp/lifeskills/entry-12461284172.html
【アガパンサスはアガペ・神の愛~~アファメーションは私への愛】をご参照ください。
先祖崇拝(選民意識)から 八紘一宇(地球家族)に意識を転換することも大事です。
http://www5a.biglobe.ne.jp/spk/sp_newsletter/spnl_backnumber/spnl-21/spnl-21-2-1.htm【先祖供養という宗教的慣習は、どのようにして成立したのか】 への考察
① 先祖供養を必要とする=輪廻の鎖に繋がれた状態。
シャカは輪廻思想に基づき「死とともに肉体は単なる抜け殻になる」と考えていた。
創世記の創造神話を連想します。
http://h-kishi.sakura.ne.jp/s-209.htm
【物語としての旧約聖書 ②エデンの園―人は塵から造られ塵に帰る
上智大学特任教授 古代オリエント博物館館長 月 本(つきもと) 昭 男(あきお)】より抜粋
神ヤハウェは、大地の塵をもって人間を形づくり、その鼻に命(いのち)の息を吹き入れた。そこで人間は生きる者となった。神ヤハウェは東方にエデンの園を開いて、そこに自ら作った人間を置いた。(創世記二章七節から八節)
物語は、ヤハウェが大地の塵をもって最初の人間を形づくり、エデンの園に住まわせたところから始まります。「大地」のヘブライ語はアダマー、「人間」はアダムです。文字通り、アダム「人間」はアダマー「大地」から造られたのです。後に、アダムは最初の人間の名前ともなりました。「塵」とは、乾けば土埃(つちぼこり)に、水分を含めば粘土になる粒子の細かい土のこと、「形づくる」とは粘土を土器に成形するときに用いる動詞です。つまり、神は大地の粘土をもって、手ずから人間を造りあげたのです。そして、その鼻にいのちの息を吹き込みますと、人間は生命(いのち)を得た、と語られます。神が言葉によって万物を創造してゆく創世記一章の天地創造物語とは、ずいぶん印象の異なる語り口です。エデンの園は豊かな川が流れる潤いのある場所として描かれています。神はそこに、実を食べるに適したあらゆる木々を、その中央には「生命(いのち)の木」と「善悪を知る木」を生え出させます。この二本の木が、後に、人間がエデンの園から追放される原因となります。神はある時、人間にこう命じます。園のすべての木からとって食べて良い。ただし、「善悪を知る木」からは決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。これはいわゆる「見るな」のタブーの一例です。ある行動を禁止し、約束を破ったほうが不幸になるという世界各地の神話や伝説に現れるモティーフです。さらに神は、人間が一人でいるのはよくないと考え、人間と同じように動物たちを形づくり、人間のところに連れてきます。しかし、その動物の中に「彼と向き合う助け手」は見出せませんでした。そこで神は、人間を深く眠らせ、肋骨(ろつこつ)一本を抜き取って女性を形づくり、彼に出会わせます。すると、彼は言います。
一指李承憲@ILCHIjpのツィート記事も連想します。
牛が草を食べれば、草は牛になります。人が牛を食べれば、牛は人になります。人が死んで土に埋められ肥料となり、草が育てばまた人になります。天と地と人は一つ、大きな気づきが必要です。このことを悟るなら、すべての煩悩と妄想は消え去るでしょう。
②輪廻思想と先祖供養の矛盾
本人は別の存在として新たな肉体を持って生まれ変わっているのですから、抜け殻である肉体や骨は用のないものであり、墓も必要ない
しかし圧倒的大多数の在家信者(ざいけしんじゃ)は、「先祖供養」と「死後の救い」を仏教に期待している
仏教は本来的には「生者の悟り」のための宗教であるはずなのですが、それが「死者の救い」のための宗教に変わってしまっている
何が変える力となったのでしょう
イ・中国仏教の成立――インド仏教のシャーマニズム化
儒教は、中国人の先祖霊崇拝・先祖霊信仰というシャーマニズムを基礎にして、家族理論と政治理論を積み上げて成立した広大な思想体系です。儒教は単なる倫理道徳ではなく、底辺に「先祖崇拝」という宗教的要素を持った宗教なのです。
ロ・民俗学の柳田国男によれば、日本人には「あの世にいる先祖は山や海に住んで、お盆や正月に子孫の元に帰ってくる」との信仰があったということです。
太古の日本では「先祖の霊は死後、時間の経過とともに浄化され、やがて氏神になり子孫を守るようになる」との信仰がありました。また原日本人の末裔と考えられるアイヌの研究では、アイヌには霊魂観に基づくあの世とこの世の往復についての信仰があると報告されています。
古代の日本には、こうした中国と共通するシャーマニズム的土壌があったために、中国から伝来した仏教は、日本古来の先祖霊崇拝と無理なく融合することができました。
先祖霊は浄化の果てに氏神となって子孫を守る」というような死生観を持っていましたが、これは儒教の死生観に通じるものがあります。
浅野和三郎の神霊学も、こうした死生観を取り入れたものとなっており、“守護霊”は祖先霊の中から選ばれるとしています。
儒教の“魂魄説(こんぱくせつ)”
一般的に儒教では、人間を精神と肉体の2つに分けて考えます。精神を支配するものを「魂(こん)」、肉体を支配するものを「魄(はく)」と呼んでいます。地上人はこの両者は一致していますが、死ぬと魂魄(こんぱく)が分離し、魂は天へ上って空にとどまり、魄は地中(墓)にとどまるようになると言います。
儒教では、子孫が天(空)に漂う先祖の魂と、墓にいる先祖の肉体(魄)を、地上の子孫のいる場所に呼び戻すことによって、先祖は再びこの世に現れることになると考えます。これが儒教で最も重要視される“招魂儀式”であり、血縁関係のある子孫の集まりの中で厳かに行われることになります。それは血縁一族にとって、最も厳粛で重要な意味を持っています。こうした儀式を未来永劫(みらいえいごう)にわたって執り行うためには、血縁が続き、子孫が繁栄することが絶対的に必要とされるのです。