ZIPANG-4 TOKIO 2020武田信玄の棒道と蓼科 親湯温泉「2026年 蓼科 親湯温泉100周年に向けて!」(その4)
はじめに 記事をお届けするに当たり、昨夏、関東・東北地域を直撃した、強烈な台風19号と、続く21号の記録的な豪雨で、千葉や栃木、福島など5県の34河川で浸水被害や土砂災害により亡くなられた方々を始め、多岐に亘って被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。また、このたび我が国の世界遺産である沖縄のシンボル首里城の正殿等主要部分の全焼被害が発生。やりきれぬ国民的ショックも癒えぬ中、重ねて2019年12月4日、アフガニスタン東部で長年医療と共に当地に用水路を完成させた国民的英雄、中村哲医師の暗殺事件が続きました。余りにも大き過ぎる一連の悲報に暮れた昨今です。今私達は世界平和の為に何が出来るか…?中村氏が遺した後姿から一人ひとりが何かを学び取り、その実践こそが目指した真の世界樹に繋がるものと思います。謹んで哀悼の意を捧げつつ。合掌
風林火山
疾(はや)きこと風の如く
徐(しず)かなること林の如く
侵掠(しんりゃく)すること火の如く
動(うご)かざること山の如し
風林火山を思い起こさせる蓼科湖の風景・・・
お食事処は全て個室になっています。四季の景色を愛でながら四季の食を味わう贅沢な瞬間
3万冊の蔵書ラウンジでグラスを傾けながら…あの懐かしき、青春のほろ苦さを想う・・・
蓼科 親湯温泉は2026年の創業100周年に向け、カウントダウンプロジェクトを実施しています。2018年度は、蓼科 親湯温泉のお食事処を全て個室化。ロビーラウンジには蔵書3万冊を擁し、蓼科と文学との繋がりを表現。そしてかっての社交の場を再現したBarも設置し、チェックイン時にアルコールサービスなど大人の寛ぎの空間を充実させました。
蓼科山の渓谷にある一軒宿
客室「蓼科倶楽部」とは
蓼科親湯と関わりの深い10人の文人達をイメージして創った個性的なお部屋。クラッシックモダンなインテリアの中でお寛ぎ頂けます。
※2019年1月21日より当館は、全館禁煙になっておりますのでご注意下さい。
明治、大正期のクラシックでいながらモダンな印象を与える設え
蓼科倶楽部 ユニバーサルデザインタイプ
全てのお客様に隔たりなくご利用いただけるように作られた客室。
手すりやスロープを設置し、お部屋の中で車椅子のご利用が可能です。
部屋 洋室 約70㎡(入り口スロープあり。トイレ、バスまわりに手すりあり。)
定員 ベッド利用1名様〜4名様
個室 お食事処での蓼科親湯温泉の食とは
蓼科 親湯温泉では全お客様にごゆっくりとお寛ぎ頂く為に、個室のお食事処が用意されています。ご朝食、ご夕食ともに個室でのお食事となります。あたたかくお過ごしいただけるように床暖房になっております。 寒冷な土地ゆえ、足元からのじんわりした優しい温かさもおもてなしの一つです。
清らかな空気と澄み切った水、全国トップクラスの日照時間と昼夜の寒暖差、起伏に富んだ地形。海が無く、冬は厳しい寒さに見舞われる所ではありますが、この豊かな自然環境で育くまれた信州の味噌、醤油、蓼科のかんてん、高原野菜、蓼科牛、信州豚…と美味しいものには事欠きません。
蓼科 親湯温泉ではそれらを、和フレンチをベースにした「蓼科山キュイジーヌ」 としてお召し上がりください。ゆったりとお風呂に浸かった後は、全席個室の宴どころ、「みすゞかり」で信州蓼科の美味しいもんに舌鼓を打ち、杯を片手に愉しい宴のひとときをお過ごしいただけます。
そして、ご朝食は信州ならではのフレッシュお野菜を・・・爽やかな1日のスタートです。
信州の美味しい色々を豆皿に載せてちょこっとずつ。
和朝食の「蓼科 山ごはん」をお楽しみください
宴どころ みすゞかり
大正浪漫の甘い薫りが・・・
「みすず・刈る」は、信濃の荒野に生い茂る篠竹(しのだけ)の姿を見て、まだ文字もなかった頃の上代人(飛鳥の頃)が、思わず感動の歌ごえを唇にのせたもので、『万葉集』に収められている、古くから信濃の枕詞です。
透き通るような爽やかな大気と清冽な川の流れ、豊かな自然に抱かれた信濃の国の豊かな食を味わっていただく場として 宴どころ みすゞかり と命名しました。
宴どころに一歩足を踏み入れれば、大正、昭和初期の日本の大工により洋館が建てられた当時の雰囲気を感じられ、大正ロマネスクの扉に仕切られた各個室で、寛いでお料理を、お酒を堪能していただけます。
ソムリエ 梅原 浩義
諏訪の日本酒、NAGANO WINEのエキスパートが皆様の好みのテイストをお聞きしながら、今宵の最高の合いの手選びをお手伝い致します。お気軽にお声掛けください。
蓼科親湯温泉では、お酒を私たちの大切なおもてなしと位置づけております。宴どころの入り口には、諏訪の酒蔵から取り寄せている世界に誇る日本酒各種、その名を徐々に高めている、NAGANO WINEを豊富に取り揃え、ソムリエが皆様をお迎えいたします。
夏でも朝、晩は涼しく、冬は極寒の蓼科で、床暖房で下からポカポカと心地よい温かさが自慢です。かつて元祖湯治場だったこの蓼科親湯温泉で、身も心も温まり極上の開放感を味わってください。
ご高齢の方や、お体のご不自由な方にも安心・安全にご入浴できるように、
露天風呂の壁には手摺が付いています。
蓼科親湯温泉のあらまし
1542年(天保11年)
武田信玄が諏訪地方を領有。
1552年(天文21年)
甲州から川中島への最短距離を辿ったとされる「信玄の棒道」が、八ヶ岳山麓にできる。山深くにあった蓼科 親湯温泉は、その頃から傷病兵たちの湯治湯として利用された。
1601年(慶長6年)
初代諏訪藩主諏訪頼水が、蓼科 親湯温泉を直轄統治。
1900年(明治33年)
茅野駅と各温泉を結ぶ茅野駅馬車組合の乗合馬車の運行が始まり、夏季を中心に次第に賑わうようになった。
1904年(明治37年)
歌人伊藤左千夫や日本画家平福百穂が、歌人篠原志都児の招待で蓼科 親湯温泉に長期滞在。蓼科の様子を作品で紹介し、関東圏に中部圏で蓼科が広く知られるようになる。そして、多くの文人歌人をはじめとした文化人が蓼科 親湯温泉に訪れる。この頃、文化財にもなっている“蓼科山歌”を伊藤左千夫が蓼科 親湯温泉で詠んだ。
1909年(明治42年)
蓼科 親湯温泉が湯川財産区に払い下げられ、ともに競争入札で財産区民から湯請人を選び経営を請け負わせた。
1923年(大正12年)
上諏訪町高島小学校の校医小沢侃二らは、蓼科 親湯温泉で虚弱児童の高山保養訓練を行って良好な結果を収めた。
1924年(大正13年)
蓼科保養所開設。
1926年(大正15年)
初代社長の曽祖父が蓼科に温泉ホテル三遊喜館を創業する。
1927年(昭和2年)
蓼科に温泉プールが開業。そして、名称をプール平とした。
1930年(昭和5年)
蓼科 親湯温泉にプール建設。その当時のオリンピック選手が来る。柳原白蓮が来たのもこの頃。
1937年(昭和12年)
蓼科郵便局開設。郵便と電信通信の取扱開始。
1940年(昭和15年)
初代社長の曽祖父が蓼科 親湯温泉を競り落とす。
1944年(昭和19年)
蓼科 親湯温泉は野比海軍病院の保養施設として所有権ごと強制的に接収された。
1948年(昭和23年)
合資会社親湯温泉設立。
1948年(昭和23年)
蓼科 親湯温泉のプールへフジヤマノトビウオこと古橋廣之進(元JOC会長)、橋爪選手などがこの時から6年ほどオリンピックの練習に来る。これ以降大学数校の水泳部も毎年冬期合宿に来る様になる。
1949年(昭和24年)
茅野駅から白樺湖間の路線バス1往復の運行。観光貸馬業の営業が始まった。
1953年(昭和28年)
2代目社長の祖父が、蓼科分校(北山小学校)開設。洋画家小堀四郎から「吉田松陰を見習いなさい。教育は少人数に限る」という助言があった。教師は、森鴎外の子小堀杏奴(作家)が富山県から武内雷龍(作家)を招聘する。
1957年(昭和32年)
小津安二郎が映画の滞在で訪れる。
1957年の『東京暮色』以降は蓼科高原に盟友・野田高梧(脚本家・蓼科の野田の山荘は「雲呼荘」)とこもって脚本を執筆。晩年の名作を生み出す(1957『東京暮色』、1958『彼岸花』、1959『お早よう』、1959『浮草』、1960『秋日和』、1961『小早川家の秋』、1962『秋刀魚の味』はすべて蓼科で執筆。小津の日記を集めた蓼科日記抄には、蓼科 親湯温泉の記載が17箇所もある。
1988年(昭和63年)
蓼科 親湯温泉 建て替え工事
2006年(平成18年)
蓼科 親湯温泉 リブランディングにおけるリニューアル工事
2011年(平成23年)
上諏訪温泉しんゆ開業。
2016年(平成28年)
萃sui-諏訪湖開業。
2026年
蓼科 親湯温泉100周年を迎える。
信玄の棒道(北杜市)とは
北杜(ほくと)市について
山梨県の北西部に位置する北杜市は、北は八ヶ岳連峰、南西は甲斐駒ヶ岳から連なる南アルプス、東は茅ヶ岳、北東は瑞牆山などの日本を代表する美しい山岳景観に囲まれています。また、清らかで豊富な水資源、高原性の気候、日本で一番長い日照時間、歴史的な町並みや滞在型温泉地、高原リゾート地など、豊かな資源に恵まれた地域です。 平成16年11月1日に、峡北(キョウホク)地域の明野村、須玉町、高根町、長坂町、大泉村、白州町、武川村の7町村が合併し、人口4万4千人の市として「北杜市」が誕生しました。 その後、平成18年3月15日に小淵沢町と合併し人口5万人の新「北杜市」が新たにスタートしました。
北杜市が目指す将来像
人と自然と文化が躍動する環境創造都市
山紫水明の里
美しい山と清らかな清流、北杜(ほくと)はまさに山紫水明の里なのです
豊かな大自然に囲まれた八ヶ岳南麓 標高1,000m前後に位置する小淵沢高原。目の前には雄大な南アルプス連峰や富士山も望めます。夏でも湿度が低く涼しく、昔からお馬さんを育てるのに適した地域でした。現在では山梨県馬術競技を中心に数多くの乗馬クラブがあり「馬のまち」としても知られております。冬には八ヶ岳ブルーと言われる真っ青な空と雪をまとった山々とのコントラストは絶景です。夜にはキリっと澄んだ空気の中、満天の星空に包まれます。武田信玄が軍用道として作ったとされる信玄棒道・八ヶ岳の峰々に磨かれた清冽な湧水・森の中にたたずむ美術館、一周400m野外スケートリンク・高濃度ミネラル成分を含んだ延命の湯・美味しい高原野菜などなど小淵沢には思わず寄り道したくなる場所がいっぱいです。
今に残る、武田信玄の軍用路「棒道(ぼうみち)」
信玄棒道 北杜市小淵沢町~長坂町
信玄棒道 北杜市小淵沢町~長坂町
信玄棒道 北杜市小淵沢町~長坂町
棒道は武田信玄が信州攻略の為に造った軍用道路と伝えられ、棒のようにまっすぐのびていることからこう呼ばれています。沿道には「西国三十三所」「坂東三十三所」の霊場を模して江戸時代に安置された36体ほどの石仏(観音様)が設置され、今も豊かな表情を湛えてたたずんでいます。現在は自然散策路になっており、「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選定されています。
北杜市小渕沢町~長坂町
北杜市小淵沢町~長坂町
棒道の観音様一覧
番号 観音像名 像立年号 施主
西国
1番如意輪観音坐像 嘉永2年(1849年) 平井文四郎
2番十一面観音立像 嘉永元年12月(1848年12月) 平井辰三郎
5番千手観音坐像 - 小宮山滝右衛門
8番十一面観音立像 嘉永2年(1849年) -
11番馬頭観音坐像 - 保坂文左衛門
12番千手観音立像 - 小宮山茂兵衛
13番如意輪観音坐像 - -
14番如意輪観音坐像 - 小宮山滝右衛門
15番十一面観音立像 - 坂本弥与吉
16番千手観音立像 - 小池忠右衛門
17番十一面観音立像 - 小宮山滝右衛門
18番如意輪観音坐像 - 瀬戸伊兵衛
19番千手観音立像 - 坂本安平
20番千手観音立像 嘉永元年12月(1848年12月) 大柴銀衛門
21番聖観音像 - -
22番十一面観音立像 - 瀬戸弥市右衛門
23番千手観音立像 - 大柴多之助
24番千手観音立像 - 坂本周蔵
25番千手観音立像 - 小宮山滝右衛門
27番如意輪観音坐像 - 小林政之ジョウ
28番聖観音立像 - 坂本伊兵衛
29番馬頭観音坐像 - 小宮山滝右衛門
30番千手観音立像 - 小宮山権衛門
31番聖観音坐像 - 小林忠兵衛
32番千手観音立像 - 清水清吉 清水権大右衛門
33番十一面観音立像 - -
坂東
1番十一面観音立像 嘉永元年10月(1848年10月) 市川栄蔵
2番十一面観音立像 嘉永元年12月(1848年12月)小林甚右衛門 坂本藤右衛門
3番千手観音立像 - 藤森元右衛門
4番十一面観音立像 - 坂本瀬十良
5番十一面観音立像 - 小宮山滝右衛門
6番聖観音立像 - -
7番聖観世音文字塔 嘉永2年(1849年) 瀬戸由太良
9番千手観音坐像 - (白井沢村中)
10番千手観音坐像 - 坂本太良兵衛 小林治郎兵衛 坂本治右衛門
11番千手観音立像 嘉永2年(1849年)(白井沢邑村)
16番千手観音坐像 - -
棒道の観音様の種類
※信玄棒道は上の棒道、中の棒道、下の棒道の3本の棒道があったと言われています。
反省のことば
本号は少し長くなってしまいました、きっとお読みいただいた方たちから「長すぎる、2回に分けろ~」とアドバイス?激励?やはりお叱りの言葉が正解のようです⁉確かに!そのことも考えましたがこれは長くとも1回でご紹介しなければと、あれやこれや試行錯誤している内にどんどん時間ばかり経ってしまいました。これでもまだほんの一部しかお伝えできておりませんのに…、予定より24時間以上締切り時間が過ぎてしまったようです(反省)…また次の機会にご紹介できればと思っております。最後までお読みいただきありがとうございました。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(順不同・敬称略)
合資会社親湯温泉 〒391-0301 長野県茅野市北山4035 電話 0266-67-2020
北杜市 産業観光部 観光課
〒408-0188 山梨県北杜市須玉町大豆生田961-1 TEL 0551-42-1351
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
読者からのご意見が届いておりますのでご紹介いたします。
『読者の声』
蓼科親湯温泉のご紹介、お疲れ様でした。
生憎私は喫煙者な者ですからお酒・煙草を満喫しながら読書が出来たらなーと思っておりましたが全館禁煙になったのですね。これも世の流れ、致し方ないとは判っておりますが少しばかり残念です。
またお食事も地元の食材を和洋折衷にて仕上げるあたり、日本人・欧米人からも好まれそうで写真を見るだけでも美味しさが十分伝わりました。
自然も豊かですし、地元沖縄にはない奥の細道(?)的な山道(信玄の棒道)は憧れますね~
『読者の声』
「信玄の棒道」は、以前このサイトのお写真を拝見した熊野古道や伊勢路のような雰囲気ですね。日本遺産や世界遺産に登録されているのでしょうか?蓼科の景色と共にいつまでも残したいですね~
『読者の声』
春の陽気とは裏腹に、新型コロナという見えない敵に戦々恐々と していますが、1日も早く収束してくれることを願うばかりです。
季節の変わり目ですので体調にお気を付けてお過ごしください。
『読者の声』
少しも長くかんじませんでした。 それに、あんな山奥にあれ程の大物たちが通った、レベルの積み重ねが、こよなくホテルの高度な質を高めた結果なんだと妙に納得したり・・・
『読者の声』
蓼科 親湯温泉のお部屋が贅沢なので驚きました。宴どころで長野のワインをいただけたら
どんなに美味しいだろうとふと思いました。
蓼科の贅沢を心ゆくまで堪能できると思います。もうすぐ創業100周年を迎えるのですね。