学校に行きたくない、から始まった冒険
息子が学校に行きたくない、と言い出した…原因はなんだろう?
友達と上手くいかないのか
先生が未熟なのではないか
学校という仕組み自体の問題か
息子の性質?発達障害?
家族の問題?
一体誰が悪いのか?どこを直せばいいのか?
…??
7年あまり、
原因探しとその対策に私がどうしてきたかを
書きはじめると、膨大なことになる。
どうやら我が子は「不登校児」なるものであるらしいという事態に直面して
私は当惑し、嘆き、怒り、悲しみ、
思いつく限りの手を打った。
親として相談できるさまざまな人と会い(担任、教頭、校長、保健室の先生、塾の先生、カウンセラー、医師、セラピスト…)、助けてくれる場所を探し(病院、教育機関、フリースクール…)
…それぞれがそれぞれに希望と絶望をあたえてくれた。
息子が学校に「行かない」ことが
学校に「行けない」ことだと思い、
それはあらざるべきことだという「罪悪感」や「恐怖」が
私を突き動かしていた。
どうにかしなければ、この子が不幸になってしまう。
どうにかするのが私の責任なのだから…。
愛してやまない息子は同時に自分をもっとも苦しめる存在になっていた。
そんな息子を産み育てた自分が情けなく、呪っていた。
相談していたあるに聞かれたことがある。
「貴方は今、何がしたいですか?息子さんをどうしたいかではなくて。時間もお金も不足なくあるとしたら、今、何がしたいですか?」
はああ??!!と思った。何を言ってるんだろう、この人は。
怒りさえ感じた。
私のことは、どうでも良い。息子のことを考えて欲しいのだ。
私がしたいこと?毎日毎日息子と一緒に過ごして一人になる時間さえ取れないのに、何がしたいかなんて…ばからしい。そんなこと考えたこともない。
…
…
…あれ?何がしたいんだろう?時間もお金もあったら、私が今やりたいこと…あれ、あれれ…今度は驚いた。自分には何もやりたいことがない!好きだったこと、憧れていたこと、やりたかったことがたくさんあったはずだけれど、今の自分には何も思いつかない。
そんな自分の状態に衝撃を受けた。
誰かや何かを責める気持ちや
このままではいけないとか過ちを正さなければとかいう
「不安」「恐怖」だけを動力にする歯車は
そのエネルギー量の割に
何も生み出さないむなしい空回りを続けるばかりであることに気付くのは
実はこれより随分あとになってからのことだった。
教科書やお手本のない親子の冒険は
ぐちゃぐちゃになりながら続いてきた。
地図はないけれど
船を漕ぐコツをお伝えできれば、うれしいかなと。