18冊目 父 渋沢栄一
古くて新しい偉人、渋沢栄一。この時代だからこそ、彼に学ぶことはたくさんある。
平たく言えば今の日本の土台を創り上げた人である。
新札の話題が出る前、根尾選手の愛読書として『論語と算盤』が挙げられるまでは知る人ぞ知る偉人の一人であった。
幕末は徳川幕府に仕え、維新後は維新政府に仕えた後、野に下り500以上の会社の立ち上げに関わったとされる奇跡のバイタリティの持ち主
幕府と維新政府の双方に仕えた偉人としては武士道の権化山岡鉄舟が挙げられるが、渋沢栄一の精神性は山岡鉄舟に勝るとも劣らない。
資本主義には解毒剤としてのキリスト教が必要であったと喝破したのは内村鑑三だったと記憶している。経済には精神性が問われる。最初の志が立派でも、何かしらの錨が無くては尽きない欲望という荒波から船は行き先を見失う。
その精神性を渋沢栄一は論語に見出した。東洋哲学という錨で欲望を正しい方向に導いた。
渋沢栄一が創立したのは株式会社だけではない。教育機関である大学も一橋大学、東京経済大学、国士舘、同志社大学、日本女子大学など多数創立に関わっている。
病院も創っている。現在の都立健康長寿医療センターの母体になったものがそれだ。東京慈恵会、日本赤十字社にも関わっている。
なぜ今、渋沢栄一か。
現代、学問とは仕事のための職業訓練、ないし教養程度の意味しか持たない。実学というのがそれである。
パソコンで例えるならOfficeの様なものだ。肝心のOSに相当するのは価値観や宗教観、人間そのもののベースである。現代の学校は戦後の改悪でこれを教えない。自然、人間的な価値観のベースは環境に依存する。
論語を暗唱させたり、聖書を読ませたりミサをするのが宗教観を教え込むことではない。親が胸を張って正しいと言えるひとしずくの信念を子供にインストールしておく必要がある。
普通胸を張って正しいと言えることなんてそうそうない。自然その教えは昔自分が言われたこと、保守的なことになる。それでいいのである。それが良いのである。
渋沢栄一の嬉しい点はそのOSこそ経済の上で重要であり、何より役に立つものであることを立証してくれている点である。
渋沢栄一の言葉を引用する。
「私はキリスト教も仏教も信仰していませんが、人は自己のためにのみ生くべきものではないというう信念を、東洋哲学で深く感じています。この点キリスト教精神と同一であろうと思います。」
根本のところで宗教は一つになる。宗教戦争なんてする輩は宗教の蘊奥を理解していない。畢竟本当の宗教心ではないのである。
道徳に従う経営は敵も多い。周りが道徳に従わなければこそ、邪魔も入る。そこに立ち向かうには勇気と信念が必要だ。
守るための戦いであるヒーローは、いつも序盤で苦戦する。されど最後には勝利を勝ち取るものなのである。
渋沢栄一の生き様は、経済人としてだけでは無く、仕事する全ての人間について言えることである。
心に刻んで、生きてゆきたい。
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