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シンガーソングライター 小林拓真

あれから9年

2020.03.11 12:12

お疲れ様です


3月11日


東日本大震災から9年が経ちました


人それぞれ時間の流れを感じるスピードも

違うと思いますが


個人的には『もう9年か…』という感覚です


だけど被災された方々にとっては

そんな言葉では語れない9年間だったんだろうなって


現在でも行方不明の方々がいて


故郷から離れた生活を余儀なくされた方々もたくさんいて



だけど着実に復興は進んでいて


また故郷に戻って地域再生を目指している方々もいらっしゃると

耳にしました



当時、首都圏でさえも被害があり

帰宅難民になったと知り合いからも聞きました



僕は関東にはいませんでした



というのも

新卒で入社した会社で

初勤務地が札幌だったんです


あの日

まだ入社1年目で営業の担当先を持っていなかった僕は

先輩から『苫小牧市のお客さんに物を届けて欲しい』という依頼を受け

札幌から車で向かいました


今でも覚えているんですが

被災時刻の14:46

信号待ちをした時に

車体がけっこう横に揺れました


だけど

苫小牧市は港町で海風が強くて

『今日は風が強いなぁ』くらいにしか思っていませんでした


苫小牧から札幌までは

高速を使って約1時間



会社へ戻った時に


事務所がパニック状態


『本社と連絡が繋がらない!!!!』


『仙台営業所、盛岡営業所は無事なのか????』



『!!!!????』

何も知らない僕は

状況を全く把握出来ませんでした



当時の上司に『テレビ見てみろ!!』と


画面の中から流れてきた映像に

僕は愕然としました


仙台空港が津波に飲み込まれていく


あまりに非日常的な映像すぎて…


これは現実なのか…

実感がなさ過ぎて受け入れることが出来ませんでした


首都圏でも被害があるとのことだったので

実家は?両親は?ばあちゃんは?と

先ず家族の安否が心配になり

電話をしましたが…全く繋がらなくて

あの時間は不安な気持ちでいっぱいでした


最初に繋がったのは、ばあちゃんでした

近所に住んでいる若い学生の方と一緒とのことで

無事で本当に安心しました


両親とはタイムリーに電話は繋がらなかったけれど

母親から『無事です。お父さんは長崎に出張中です。』とのことでした


震災直後は首都圏でも

母親から計画停電があって大変だ、という話も聞きました


この表現を適切ではないのかもしれませんが…

僕は運が良かったのか…


首都圏でさえも生活の自由が奪われているのに

被災地の方々にとっては本当に計り知れない状況だったと思うと

心が苦しくなります


だけど冒頭でも言いましたが

着実に前へ進んでいる


苦しい出来事、悲しい出来事、辛い出来事ではあるけれど

この先も絶対に忘れてはいけないことです


被災された方々の生活に

少しでも

ひとつでも

笑顔が戻る時間が増えますように