戦略的な誤りを犯した習近平②
中国が犯した三つの大きな間違い
「平和的台頭」という戦略方針「チャイナ1.0」を、「対外強硬路線」である「チャイナ2.0」に変更したのは、胡錦濤があまりにも抑制的で弱腰だという批判があったほかに、以下のような「三つの大きな間違い」を犯したからだというのが、ルトワック氏の見立てである。
第1の錯誤――「金は力なり」
経済力と国力の関係性を見誤って、「金は力なり」という、非常に視野の狭い、短絡的な考えに囚われ、外交でも「経済力を使えばゴリ押しできる」と考えたことだ。「金は力なり(money talks)」で、金さえあれば相手を思い通りに動かせると考えた。しかし、経済力と国力の間にはタイムラグが存在し、それぞれのピークは50年から100年のずれが生じることがある。中国が本物の国力を手にできるのは、経済力に50年以上遅れることを見通せなかった。
第二の錯誤――線的な予測 linear projection
中国は発展し経済は拡大する一方で、米国経済は縮小し弱体化すると単線的に信じたこと。かれらに自覚できなかったのは、線的なトレンドは長続きしないという歴史の真実だ。
第三の錯誤――大国は二国間関係をもてない
外交関係を単なる「二国間関係」だけで解決できると勘違いした。弱小国なら2国間で個別に解決できても、大国になったら相手の小国は他国を巻き込んで協力・同盟関係を築き、対抗するようになる。ある国が大国として台頭することによって、かえって立場が弱くなるということはよくある。台頭した国が周辺の小国に脅威を与えると、小国は他の国を頼って同盟を結び、かえって団結するためだ。これを「戦略的な逆説的論理(パラドキシカルロジック)」という。
三つの錯誤による戦略的な過ちの典型例 =南シナ海問題
中国が、南シナ海の領有権を主張して地図上に線を引いた「九段線」はあまりにも荒唐無稽で、もともとは蒋介石率いる中国国民党が「十一段線」として勝手に線を引いたものだが、その当時の中華民国は、外国の船が上海の黄浦江に入ってくるのさえ阻止できないほどの無力な存在だった。
そもそも、米英中三か国が敗戦後の日本の領有範囲を決めた「カイロ共同声明(コミュニケ)」(1943年12月)には、「1914年第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領したる太平洋における一切の島嶼を剥奪すること、並に満洲、台湾及澎湖島の如き日本国が清国人より盗取したる一切の地域を中華民国に返還すること」とあり、日本が統治・占領した南洋郡島や新南群島(南沙諸島)などの島々はただ「剥奪」とあるだけで、そのあとの帰属先は明示されていない。また1952年発効のサンフランシスコ講和条約でも、日本は南沙諸島および西沙諸島に関する権利、権限の放棄を国際社会に向けて明言しただけで、中華民国に「返還」するとは一言も言っていない。
つまり、九段線や十一段線の類は、国民党の誰かが酒に酔っぱらった勢いで地図に勝手に線を描き「願望」や「夢想」を表したものに過ぎない。初めから根拠も正当性もない荒唐無稽な主張を、中国共産党が何の疑問も抱かず、国民党から無批判に引き継いだ時点で、戦略的な誤りは始まっていたのだ。
中国が、南シナ海のすべてを一方的に囲い込む権利など、どこにもないにもかかわらず、経済大国として金にモノを言わせれば、周辺の小国など何とかなると考えた「第1の錯誤」。「九段線」という荒唐無稽な地図は、歴史的、国際法的な裏づけもなく、たとえその領域を手に入れたとしても、自分たちの海軍力で維持する能力もないにもかかわらず、「核心的な利益」だと強弁し、一方的な主張を繰り返せば、自分のものなると素朴に考えた「線的な予測(リニア・プロジェクション)」という「第2の錯誤」。南シナ海の全てを自分の海として囲い込もうという主張は、当然のことながら、周辺国の警戒を呼び覚まし、この海をシーレーンとし自由に航行している日本やアメリカなどの不信感を呼び覚ました。中国は当初から、関係する小国との二国間交渉で領海問題を処理しようと謀り、ASEANという多国間の場での協議や米日など域外国の介入を一貫して拒否してきたが、ここでも「大国は二国間関係をもてない」という第三の錯誤を犯した。南シナ海の問題は、すでにフィリピン、ベトナム、インドネシアなど周辺国と日、米、豪州、インドなど利害を有する国々を巻き込み、「中国対利害関係国」という対立に発展している。さらにフィリピンの国際司法裁判所への提訴によって、「中国対国際社会」という構図の国際問題としてもクローズアップされている。
日本に対する中国の戦略的な間違い
同じことは尖閣諸島や沖縄をめぐって野心を露にする、中国の日本に対する態度についても言えるのではないか。
中国がGDPで日本を抜き、世界2位に躍り出たのは2010年。尖閣諸島近海で「中国漁船衝突事件」が起きたのも同じ年だった。1970年代末からの改革開放路線のもと、日本は一貫して中国の経済発展を援助し、工場進出や技術移転で貢献してきた。しかし、天安門事件後の江沢民時代に愛国主義教育が始まると、歴史認識問題などで日本に揺さぶりをかけ、対日批判を強める傾向が目立った。
中国に時速200キロ以上の高速鉄道が本格的に導入されたのは2007年からだが、その翌年2008年初めには、当初は川崎重工業の技術協力を得て導入した新幹線E2系車両をもとに作ったCRH2型(和諧号)の車両を「独自に設計、製造した」ものだと言い始めた。さらにその翌年2009年からは、中国が「独自開発」したと称する高速鉄道システムの海外進出を目指し、豪州や東南アジア、中東諸国などへ強引なセールスを仕掛け始めた。自国の経済力、技術力が弱いときには、自分たちはまだまだ開発途上で先進国の支援がぜひとも必要だと、平身低頭、もみ手をしながら援助を請いながら、技術を手にしたとたん、手のひらを返したように、その技術提供国に恩をあだで返すような仕打ちをして恥じない。そうしたあからさまな強硬な態度に変じたのも、GDPで世界第2位となり、経済大国として自信を持ったからだった。
まさに「金こそ力」で、経済力さえあれば誰を怖れることもなく、何でも自分たちの好きなように振る舞えると思った「第一の錯誤」。そして年率で7~8%の高度経済成長が当面は続き、もうすぐ自分たちの「国力」は米国に並ぶと信じた、つまり線的な予測である「第二の錯誤」が機能している。
日本の国連安保理常任理事国入りに反対を表明し、反日デモを組織する事態が起きたのは2005年4月だった。戦後70年、日本が平和国家として歩み、国際社会のなかで経済大国としての確かな地歩を占めたいとする努力に対しては、中国は一貫してそれを拒否し、押しとどめたいとする姿勢を示し続けた。何故か?それは日本を第二次世界大戦の「敗戦国」という枠組みに永遠に押し込めたままにしたいという彼らの目的があるためだ。そうした彼らの立場は、去年(2015年)9月3日に行われた抗日戦勝利70周年記念軍事パレードでも如実に示された。まさにそれなくしては中国共産党の正統性が失われ、彼らに寄って立つ基盤さえも喪失する事態を示している。
たとえば、慰安婦問題や「南京事件」、あるいは戦後の東京裁判(極東軍事裁判)について、日本がその不当な歴史認識を訴え、それを正そうとする試みは、彼らにとっては、すべて戦後の国際秩序を破壊する行為であり、それら一切を排除しなければならないのだ。その一方で、自分たちこそ「反ファシズム戦争」を闘って勝利した「戦勝国」だと僭称し、戦後の世界秩序を構築した主体だと歴史を捏造し、国連の「常任理事国」にも最初から参画していたように傲慢に振る舞っている。
安倍政権は「戦後レジームからの脱却」、「過去の戦争でいつまでも謝罪を繰り返す状況を未来の子孫に残さない」ことを目指しているが、中国は逆に、日本をいつまでも東京裁判史観のなかに押し込み、未来永劫、敗戦国、戦犯国としての宿命を背負わせるつもりなのだ。それは韓国も同じで、いみじくも朴槿恵大統領は「過去の恨みは1000年たっても変わらない」といったが、慰安婦問題の「最終的かつ不可逆的な解決」など彼らの体質、精神構造から言っても、とうてい無理だといえよう。
ここでルトワックがいう「大国は小国に勝てない」、あるいは「大国は2国間関係を持てない」という「第3の錯誤」がものを言う、あるいは効いてくる。日本は、対中国という2国間関係ではなく、ASEANなど域内国や国際社会と連携し、国際法を無視した中国の不当性を強力に粘り強く訴えていくことだ。日本の強みは、戦後70年、平和国家として歩み、国際社会に多くの貢献、実績を残したことだ。一方で、その間に中国共産党政権がしてきたことといえば、大躍進や文化大革命など国内政策の失敗や内部の権力闘争で最低でも1億から2億の犠牲者を出したこと、新疆ウイグルや内モンゴル、チベットなど異民族地域で大量の虐殺を行い、文化の破壊・抑圧を繰り返したこと。そして朝鮮半島やインドやベトナムに軍事侵攻し、大義なき戦争で他国民を大量に殺害したこと。要するに中国の行ってきたことこそ、世界秩序の破壊であり、反文明、反人類の野蛮行為、漢民族特有の非知性的な振る舞いだったのである。