3️⃣日本人として忘れてはいけない3.11 14:46
2024.03.11 05:46
2011年3.11 14:46
当時のらっぽん
ベッド9台
らっぽんメンバー
13名
突然大きな揺れが起きました
棚に並べた
30本ほどのエンザイム
次々と落下
瓶の割れる音が響き
ベタベタになった床には破片
しきっていた壁は音を立てて
斜めに倒れこみ通路を遮断
事務所の2mを超す大きな棚は
両サイドから倒れ
床に散乱し埋め尽くされ
街の木々たちも
大きく揺れていました
当時のリーダーが
みんなを階段で外まで誘導してくれ
わたしたちは
カルテと予約票を持ち
奇跡的に空いてるカフェへ避難
本日予約のビジターさんに
携帯で電話をかけ
予約の調整
その時はまだ
大惨事だとは
想像していない
みんなはピクニック気分
一応偉そうに
「今の地震で亡くなっている方もいるだろうから今はうちはビジターさんのことを考えよう」
と伝えました
が
そんなレベルではなかった
テレビで連日流れる被災地を見て
いてもたってもいられなくなり
情報をツイッターから集め
1180名いたメルマガで拡散
毎晩部屋の中でも靴を履き続け
夜中でも情報をおくり続け
家族との連絡を待っている人から
クレームが殺到し
登録者は
300名ほどに減少
それでも
拡散
避難する場所が
わからず寒さに震えてる人がいる
宮城県からも
相談者がいて
震災直後
連絡が取れなくなり
数日経って
無事であることがわかりました
ほっ。
すぐに現地に行き
ボランティア活動したかった
通れる道はなく
インフラも整っておらず
募金だけを募る毎日
※集まった20万ほどの募金をさせていただきました。物資をいただいた方・募金してくれた方 ご協力ありがとうございましたm(_ _)m
ようやく夏に
道が開かれ
仲間と一緒に
何度も現地へ
車を出してくれたおぐりん
ありがとう。
交通費は自腹で
宿は車中泊かテント
物資もそうですが
「会うだけでも勇気付けられる」
と言ってくれる方もいて
それでも
物資も
言葉も
足りなく
無力感を感じました
見たこともない瓦礫の地平線と
現地の生のお話は
私の想像をはるかに超えていました
「避難所の体育館で待機していたら
目の前にゆっくりと大蛇のように
津波が入ってきて
一気に人が飲み込まれていったの」
「一晩中 海の向こうから
人のうめき声が聞こえていました」
「自宅にあった現金や金目のものは
全部取られたよねー。」
「海岸沿いの死体からは
指輪が指ごと取られていたよ」
それ以外にも
不思議体験も聞きました
今思い出しても
胸が詰まります
被災地の悲しみを
深く胸に刻み
これからも
私たちは
一生懸命