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松浦信孝の読書帳

文脈

2020.05.16 07:18

自分は文章以外でこの言葉を、生い立ちとか家系とか、職業、経験、そういった個人を構成する要素の総体として使うことがある。


自分の人好きの傾向は、多様な文脈がある人、すなわち人と違う自分を肯定する生き方をしてきた人、になるのかもしれない。


個々人が唯一無二の存在で、紛れもなくオリジナルなのだけど、その中でも際立っている人に魅力を感じてしまう。


それは言い方を変えると、自分の意思に正直だった人、心の声をちゃんと聞いた人、になるのかもしれない。


ファッションに左右されず、流行に惑わされず、自分の拍子を刻んで生きる。そういう姿に憧れる。かといって、周囲と無関係に生きるのではなく、与えられた場所、降ってきた条件を肯定して生かして、その人自身の味わいにしていく。それが文脈を生きるって事だと思っている。


現象の形は受け入れる。その概念は一旦咀嚼して再構築する。本質とは何か。自分に与えられた意味とは何か。爽やかな風が吹くような、その人なりの解を見出して前に進む人の姿は美しい。


それは心の強い人間だけに与えられた美しすぎる痩せ我慢だ。とする反論もあるかも知れない。


痩せ我慢上等である。弱さをさらけ出す事と、この痩せ我慢は矛盾しない。


痩せ我慢は無理矢理前向きになることではない。弱い自分を自覚し、噛みしめ、受け止めた上で、前に向かう意思を持つことが万物の霊長たる人類の美しさである。


生半可なことではない。自分にそれが起きたとき、そんな綺麗事は吐けないかも知れない。だから言葉に出して刻み込む。


泥臭く生きようとも、闇から目を背けて生きようとも、この世限りの人生である。


棺桶に入ってから後悔の無い様な歩みを、残していきたい。