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捏造された日本史、前編

2020.03.14 12:46

戦争は悲惨なもの、悪と言われ続けている。しかし戦わなければ、それ以上の悲惨な目に会わなければならなかった。極東の小国日本が生き残った理由は、幾度の国難に武器を持ち立ち向かったからである。

1853年ペリー率いる黒船艦隊により開国された時アジアは欧米強国

の中にあった。白人こそ優れた人種であるかのごとき考えた彼らは、果てる未開の地、非文明地とみなし次々と植民地化していった。

しかし日本を植民地にすることはできなかった。侍達が欧米人の差別を跳ね返す為に明治維新を成し遂げ日本を救った。天皇のもとに国民をひとつにまとめ近代化に取り組んだからである。

その大胆さと決断力が日本を守った。この列強の勢力に対抗するため朝鮮半島にあった朝鮮国を長い間中国に服属していた朝鮮を独立し互いにアジアの安定をこころ見ようとした。朝鮮は国論が一致せず清国もまたそれを許さなかった。明治27年清国と戦争が起った。それが日清戦争である。

靖国神社に祭られる戦没者13619柱英霊。大国に勝って喜ぶ日本に対し突然襲いかかってきたのはロシアだった。下関条約で清国より取得した権益、台湾とりょうとう半島に対しロシアはフランスとドイツを誘いりょうとう半島を返せと言ってきた。三国干渉である。日本に3

国相手に戦う力はなかった。

深く時世の大局を思い邦家の大計を謝ることなかれと言うお言葉に国民は涙をのんで天皇に従った。ロシアは直ぐにそのりょうとう半島を自国の領土にしてしまった。力がすべての時代だった。日本人の魂に怒りの災がついた。国家か強くならなければ白人社会には太刀打ちできない。

靖国神社に祭られた88429柱の英霊

日本為に地に伏した人達である。全国つづ裏裏には国に忠義を尽くした英霊を称える忠魂ひがあります。国を想い身をもって散っていた人々です。日本を愛するなら是非手を合わせて下さい。必ずしや喜ぶと思います。

日本人は国難のたびに武器を持ち戦場に赴いた。公個の憂いを立、粛々として行った将兵の胸のうちにあるものは、今は誰も言わなくなった忠義と言う心であった。近代の日本人は国の為に行った英霊の為に黙祷を捧げて欲しい。日清日露戦争を勝った日本はアジアに国力を伸ばしていった、

大正3年日本は第一次大戦後、カロリン諸島の統治権を国際連盟から託された。また明治43年には韓国を併合する。しかしアジア支配したい欧米人は特化してきた東洋の日本は邪魔な存在に見えた。大正10年の軍縮会議では日本の海軍力は押さえられ、最大の支援国であったイギリスの同盟も破棄された。

日本を孤立化しようとするアメリカの意思である、一方中国では日本に対する排他運動の嵐が吹き荒れていった。大国清はすでに倒れており国内は権力争いで混乱していた。民衆は右に左に混乱していた。だが国内わ東一しようと現れたのか蒋介石です。

臥薪嘗胆!将来恨みを張らすまで、どんな苦労にも耐えると誓った。

日本の近代化を見習おうと蒋介石を初め多くの中国人が日本へ留学した。共にアジアの安定の為、気運が盛り上がっていたが、そらを遮ったのは共産党勢力である、第一次大戦中ロシアは革命によって倒れ共産主義によってソビエト連邦が出来た。

この新たに起こった共産主義は当

時赤の恐怖と呼ばれていた。ソ連は中国を折檻するために共産党による外国人を排除するため中国人による行動開始した。当時権益のあった日本に矛先を向けてきた。ソ連の共産党に洗練された中国人は日本に襲いかかってきた。