今日は甘夏
甘夏をとっていて、思う事がありました。
一見すると、手が届きそうな雰囲気です。写真で見てもそんな感じがすると思います。
しかし、取れない!!
高枝キリバサミでとろうと思ってもとれない。
こんなに目の前にあるのに取れそうで取れない。
なんで?
やったことがない人はわからないと思いますが、低いところのハッパや新芽が邪魔ししまうので、高いところになっているミカンを真下から取ろうとすると、ミカンがついている枝が見えないし、その枝はミカンの上にあるから、ミカンを避けて取らなければなりません。つまり真下からは、もの凄く取りにくい。だから、まずは周りの小枝を切ってからでないと見えないし取れない。
遠くから見ていると取れそうに思うのですが、近くへ行って作業すると、そんな仕打ちが待ってます。それじゃ~梯子に登ったら良いと思うでしょ?
しかし、梯子に登ると足元が不安定になって小さい枝を払うのも大変なので、長い高枝キリバサミが邪魔になるし、短いハサミだと完全に木に近づかないと切れないし、ミカンを下に落としてしまいます。長い棒を高所で振り回すのは、めちゃくちゃ大変で手が疲れる。木に登りたくても、意外に木が柔らかいので不安定です。
落ちて怪我したら元も子もない。
甘夏って、もっと低い木のはずなのですが、屋根の近くにまで伸びています。去年は、もっと下の方にもなってくれていたんですが、今年は、高いところにしかなってない。
それでも、もう少しと思って、ついつい頑張ってしまいます。
これってね。
今の世の中を滅茶苦茶あらわしているような気がしてなりません。
きっと医療の現場も同じ気持ちなんだろうな~と思ってしまいました。甘夏を取ることだから、疲れたからやめた~って言えますが、人の命がかかっていたら、放り出す訳にはいきませんよね。
やってもやっても終わりのない世界、自身の身を削って対応している方達の苦労を考えたら、ホントに頭が下がります。
現場と見た目が大きく違うし、目に見えない細かい難関が一杯あって、なかなか思うようにはいかないのが現実です。しかし、遠目に見れば、全体像はこうだとわかります。
素人でもわかる。ちょっと調べたらわかった気になってしまいます。ここが大きな問題です。昔なら調べることすらできなかったものが、ちょっとタイプすれば直ぐに調べられる時代になった。
良いのか悪いのかわからないぐらい情報が錯綜しています。知識だけならいくらでも入るので、自分が物知りになった気になります。
しかし、現実は、甘夏とるのと同じで目に見えない障害が一杯あるはずです。
また単なる医療の話しじゃなく、今回のように社会として問題になっている場合は、医療の現場だけに留まらない。だから単なる医療理論は通用しないことがある。医療の理想論を達成するための現場は、色んな難関があって思うように進まない。しかし見ているだけの人は、ああだこうだと文句を言う。
そしたらやってみろ!!
と言われたら何もできない。
そしたら何も言うな!!
と言ったら周りからバッシングされる。
そんな中で全体の舵をとるのがどれほど大変なことなのか?
ちょっと考えた方がいいなぁ~って思います。
人の命もかかっているのですから尚更だと思います。
あなた自身が、この現場に立ったらどうするか?
自分自身がそんな現場に立って、右に舵を切るか、左に舵を切るかの選択をどうすればいいのか?
理想論じゃなく現実的に考えて、どうしたいのかというハッキリした意向はあるのか?
その理論が本当に社会全体として成り立つのか?
そんな小さな窓だけから見ている世界は、本当に役立つのか?
本当に無責任なことは言えないなと自己反省しながら、甘夏と格闘していました。
甘夏おそるべし!!