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「正経」「と「海」

2020.03.16 22:52


「正経」も「海」もどちらも体表面に出てきたり潜り込んだりしていますが、それぞれにイレギュラーもあり、面白いなというのが、観察していて興味深いところです。


また「海」にも様態があり、経絡、奇経、経別と言った深さの変化があります。正経には別行する経絡があり、それを経別と言われていますが、同じ正経でも通常の走行をする経絡と別行する経絡にわかれていると言うことです。(これらの区別を様態といった)

経絡と経別の中間的な流れが奇経の流れだと理解しているので、同じ正経の中でも浅層と深層では区別があるということになります。


また様態の変化は、手足の末端に顕著にでてくるので、肘から下、膝から下は、変化に富んでいるのがわかります。手足の先のエネルギーが高いというのは、こういう経絡の現象からも伺えるのではないかと思います。特に足より手は、ハッキリとしていると言えると思います。

それに比べ体幹部は、体表面に現れている穴は、部分的であり、殆どは深く入り混んで、ところどころ出てくるように感じられます。


正経は、それぞれの様態で支流のように手足の先端の体表面にあらわれる訳ですが、「海」は同じ経路内の近位や遠位に、それぞれの様態が出ています。つまり、これらの変化を捉えるには、平面的な捉え方をするのではなく、立体として捉えるようにしていないと、うまく反応を出せないということになります。

これが術者の意識の範囲の違いと言えます。つまり、平面にしかないと考えている術者と立体も考慮している術者では、反応が大きく違ってくるということです。これが術者の意識の違いとか、世界観の違いという意味です。


また、非常に軽微な反応なので、力強い意識で望むと思う結果は得られません。意識を集中させて、軽微な反応を立体的に見ていないと反応を捉えることはできないということです。

「正経」の流れや「海」を理解する為には、術者にこのような意識がないと捉えきれないということだろうと思います。


しかし、これを捉えられるようになると、本当に僅かな力で緊張が緩解していくのがわかります。殆ど触れることなく変化を起こすこともできるようになってきます。穴や経絡は、最初から存在しているのではなく、人間の身体を自然と協調する存在だと捉えた場合にのみ出てくる現象と言えなくないようにも思います。