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トリニティ

もう、そろそろ。

2020.03.21 06:55


暖かい2月を過ぎて

逆戻りの寒さの3月の最中

地元に戻るための引越しが完了。



まだまだ段ボールやら、

荷ほどきできないものたちで

2部屋埋まっているけれど

何はともあれ荷物も人も

一ヶ所に集まった。



それにしても2つの家にあったものを

1つの家に入れてしまう

大変さと言ったら。



戻る前にかなり捨てたのに

やはり入らない。

あれもこれも勇気をだして

捨てたつもりなんだけど

まだまだ当分かかりそう。



家中から多すぎる〜

と声が聞こえてくる気がする。




この感じ、

何かに似ていると思った。




そう、最近

YouTubeが見れなくなってしまった。



次女から

「お母さん!変な動画ばっかり

 見ないで。

 友達来た時、恥ずかしいわ。」



と、いつも叱られるくらい

高校生からすれば

怪しげに見えるYouTubeばかり

見たり、聞いたりしていた。

ながら作業にちょうどいいし。



でも引越し作業に入った頃から

動画の言葉が

頭に入らなくなってしまった。



並木さん。

アキコさん。

MOMOYOさん。

バシャールやらアルクトゥルス

からのメッセージも

必ずその時々に響く言葉があった。





なのに最近、耳に届かないし、

心に響かない。



家の中の多すぎる荷物と

同じなのかもしれない。



使える使えないじゃなくて


ソモソモ

ソレラハヒツヨウデスカ?




アタマの容量を超えてるいるのか。

でも、それだけではない気がする。




「答えは全てわたしの中にある」



いろんな、体験を通して

私自身も体感した言葉だ。




もう、答えを捜す必要がないのかも。

本当はそんな気もしている。



なんだか寂しい気持ちになりながら

YouTubeのホーム画面に並んだ

メッセージ動画をリモコンで

流してみたりする。





実はこの連休に

長女が彼氏さんを連れて帰省している。



地元に戻る引越しだけでなく

長女の彼氏さんを迎えるためにも

片付け、掃除も頑張っていたのだ。

(プロの方にもお願いしましたが)



両家の祖父母からして

夫も弟も妹も

みんなが口を揃えて言うのが


「あの〇〇ちゃんに彼氏⁉︎」

と、驚きのセリフなのだが、


その長女に優しく思慮深い

彼氏さんができて、

幸せそうに日々を過ごしている。



とりあえず家族にも紹介したいし、

地元も案内したいと

春休みを利用して

一緒に帰ってきた。 



長女より一つ年下の彼氏さんは

なんと言うか

若いんだけど老成して見える

落ち着きぶりで、



それでも空港で急に

「あー、急に緊張してきた〜」と

顔に似合わない高い声をあげたりする

可愛らしさもあって



言葉と行動が早い

せっかちな長女を

静かな口調で落ち着かせたり



思慮深すぎて迷いの多くなる

彼氏さんの選択肢をしぼって

うながす長女の様子を見ていると



デコボコの凹凸があうって、

こんな感じなのね、と

微笑ましく思う。



なかなかお似合いな2人なのである。



2人の中では

この先もずっと一緒にいる、って

気持ちが固まっているらしく。



大人から見れば

まだ若いし、先のことは

わからないでしょ〜

と思うんだけど。



みんなお風呂上がりのリビングで

それぞれがパジャマのような

格好になり

わたしもすっぴんで

(2日目の朝、早起きの彼氏さんに

見られて諦めがついた)

ソファに同化して寝転んでる次女と

その横でソファにお尻だけ乗せて

小さく座ってSNSを見ている夫と

食卓で

メガネの長女と

彼氏さんが、2人で英語の試験勉強を

している様子をながめながら


何も気負うことなく

自然体で家族の中に溶け込んでいる

2人を見ていると


これからもずっと2人が

一緒にいることも想像できる気がした。



それでもつい、聞いてみた。


「まだ、これから先もいろんな人に

 出会うかもしれないのに、

 もうこの人って決めてしまって

 不安はないの?」


2人は顔を見合わせた。


長女は

「わたしは人を好きになるのに

 時間がかかるからね。

 知り合ってから付き合うまでに2年間

 いろんなところを見ているし、

 〇〇君も、つきあう人とは

 ずっと一緒にいるための

 努力をしたいと思うタイプだから」

と、言った。


彼氏さんもうなずいていた。




なんだろう。



自分で放った言葉に

違和感を感じた。



もしかしたら

いわゆる3Kとかが

もてはやされた

もっといい人がいるんじゃ

って思いは

高度経済成長期に育ったわたし達の

呪縛なのかもしれない。



次々と新しい製品が出て

便利に変わってゆく世の中で

それこそ個人が

携帯電話やパソコンを所有するようになり

情報はテレビや新聞を飛び越えて

溢れるようになり

早々に決めたことを後悔することも

多かった。



もっと先に手にする物は

イマよりきっと良い物、

という確信に近いものがあった。



それは本来商品に関して

だったけれど、

いつしか人に関しても同じように

捉えていたのかもしれない。




自分の感覚より

周りの評価を知ることのほうが

正解な気がした。



だからこそ、



早く決めるってことに

慎重にもなる。


それ見たことかと

思わないために

言われないために



自分を守るために

損をしないために



熟考と言葉はいいけれど

決断を先延ばしにして

曖昧にしておくことを

堅実であるかのごとく

勘違いしてきたのかも

しれない。



そんな気がしてきた。




目の前の2人は


自分たちのイマの感覚に

忠実だった。



イマがそうなら

きっと未来も2人でいるための

選択肢を選んでいけるはず。




それだけだった。



それは決意というほど

堅苦しくもなく

力みもなく


ただ、

そうありたい

と思っているだけ。




なんだかとっても

尊く思えた。





大事なのはイマでしかない。



イマ



イマ



イマ




3月20日の春分の日の夜更け

わたしの中でイマが響いている。





老後の生活より



半年後の予定より



コロナウイルスの心配より




イマ、ナニヲシタイ?



イマ、ナニヲカンジテル?



イマ、タノシメテイル?



イマの自分の感覚に気づくことに

思考はいらない。



誰かのアドバイスも

誰かのメッセージも



今の私に

必要なものは



いつも

本当は

わたしが1番知っている。



もう、

そろそろ、

答えを外に求めずとも



わたしの

わたしだけの感覚を

信じて



聞いてみよう。




イマ、


ナニガ


ヒツヨウデスカ。





春分を迎えて


ようやく春らしい日差しの中

桜の蕾も膨らんで

いっせいに開き始める

この時を

これからを



もっと軽やかに


イマを生きよう。