全線乗車(小出⇒会津若松) 2020年 晩冬
春彼岸の墓参りを済ませた関東からの帰り道をJR只見線経由にし、小出から会津若松までの全線を乗車した。
先日行われたJRグループのダイヤ改正では、只見線の会津若松~会津川口間で車両の置換え(キハ40形→キハE120形)が行われたが、只見~小出間の車両はどうなっているのか不明だった。今回の旅はこの確認と、“歴史的な少雪”が会越国境(福島・新潟県境)の豪雪地帯ではどうなっているかを車窓からの景色を眺めながら進めた。
*参考:
・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」
・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)
・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日)(PDF)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)(PDF)
・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の冬ー / ー只見線全線乗車ー
9:04、宿泊地の大宮を出て、高崎線を北上。群馬県に入り、上牧(みなかみ町)に到着すると、上牧温泉のホテル越しに冠雪した谷川連峰が見えた。ただ、山筋がはっきり見え、手前の山々の状態を見ると、少雪の影響を実感した。
水上で長岡行きの列車に乗り換え、新清水トンネル(13,490m)で三国峠を潜り抜け越後中里に到着すると、目の前のスキー場には雪が無かった。今冬の“歴史的な少雪”を痛感。
13:08、小出に到着。下車後、すぐに只見線の4番ホームに移動。車両はキハ48形二両編成だった。前日のダイヤ改正で分断された只見線の会津若松側から引退したキハ40形の兄弟車両だ。
後部の「只見線縁結びラッピング車両」は“小出「 こい(恋)で 」 と会津 「 あい(愛)づ 」”をかけ、沿線の結びつきを強め活性して欲しいとの願いが込められたデザイン。県境にそびえる浅草岳や長岡の花火、只見の自然と縁結びの「三石神社」などのイラストが一筆書きで描かれている。
先頭車両は、JR東日本新潟支社色(青)だった。
13:11、只見行きの列車は定刻に小出を出発。私の乗る後部車両は、15名ほどの乗客だった。
列車は、直後に上越線と分かれ、 魚野川に架かる魚野川橋梁を渡る。下路式プレートガーター(直線)を組み合わせ、半径250m曲線を作り出している珍しい鋼橋だ。 *以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館「歴史的鋼橋集覧」
まもなく、破間(あぶるま)川を渡る。大白川駅まで、1基の不渡河橋を含む8つの橋が掛かっている。
車窓から見下ろすと、左岸の川床には二人の“撮り鉄”氏が居た。来年に予定される復旧(全線再開通)後、新潟県側の只見線にもキハE120形が走ると言われているので、キハ48形の雄姿を撮っておきたいという思いがあるのだろう、と思った。
車内の様子。青春18きっぷシーズンの土曜日なので、もっと乗ると思っていたが、コロナウィルスの影響なのか、客は少なかった。
列車は、藪神、越後広瀬を経て魚沼田中に停車。母親に抱かれた幼児が可愛い手を、列車に向けて振ってくれた。
越後須原手前では、“不渡河橋”の大倉沢橋梁を渡る。新潟県側で、只見線の車窓から見える唯一のダム湖(藪上ダム湖)を眺めた。
上条を出た後は、列車は右に大きく半円を描くようにカーブし、南南東に進路を取る。この大カーブの先に六十里越の険しい山々が見えた。
大カーブを抜けたところに、一人の“撮り鉄”氏が居た。
入広瀬を出ると次駅の大白川まで、只見線は5回渡河する。破間川の川幅は狭隘になり、岩場を流れる清流が目立つようになる。
最後の「第四平石川橋梁」で、破間川と国道252号線を渡る。
「第四平石川橋梁」は車中からの風景は何気ないが、外から見ると見応えがある。
「第四平石川橋梁」(1937(昭和12)年)は充腹式アーチ橋として日本最大の最大径間(40.0m)と言われている。ちなみに、会津宮下~会津西方間に架かる“アーチ3橋(兄)弟”の長男である大谷川橋梁(1939(昭和14)年)は開腹式アーチ橋で、最大径間は45.0mとなっている。
13:56、新潟県側の最後の駅、大白川に到着。ホームと並行する形で破間川が流れ、綺麗な河原が広がっていた。
一人の乗降も無く、列車は出発。
列車は大白川を出ると、破間川の最後の渡河する。振り返って車窓から駅方面を眺めた。
次駅・只見までは20.8kmもある。 この駅間は在来線で全国7位、本州に限れば山田線(岩手県)上米内~区界間の25.7kmに次ぐ第2位になっている。
破間川と別れた只見線は、末沢川沿いを走る。
末沢川の川幅は狭く、“観光鉄道「山の只見線」”に相応しい渓谷美を見る事ができる。今日は、水量は少なく、澄んだ急流が見られた。
大白川~只見間の新潟県側には多くのスノーシェッドがあり、入口には「〇〇 雪」と書かれた看板が設置されている。今冬の少雪で、出番は少なかったのだろうと思った。
14:06、列車は只見線最大の難所、「六十里越トンネル」(6,359m)に入った。
約9分間、暗闇が続いた。トンネル内で新潟県(魚沼市)から福島県(只見町)に入るが、車内から判別できる県境を示す目印は確認することができなかった。
「六十里越トンネル」を出て、直後に只見沢を渡る。ドライバーや浅草岳登山者が利用する無料休憩所は雪が少なく、全体が見えた。
赤い橋桁は国道252号線のもの。国内屈指の積雪量を記録する「六十里越」の付近、民家の無い魚沼市大白川地区末沢(大白川駅東)~只見町石伏地区(田子倉ダム下)間は冬期閉鎖されている。今季は昨年12月2日から通行止めが開始されたが、関係者は今冬の少雪に拍子抜けしただろうと思った。
このあと、列車は国道下の短いトンネルを潜り、スノーシェッドに覆われた田子倉駅跡(2013(平成25)年3月16日廃止)を通過。
まだ使えそうなホームなどの設備を見て、観光目的に使用できるのではないか、と改めて思った。
スノーシェッドを出ると余韻沢橋梁を渡り、田子倉ダム湖(電源開発㈱田子倉発電所の調整池)を見通せる貴重な明かり区間に入る。湖底が顕わになるほどの貯水量の少なさに驚いた。
振り返って、国道252号線の白沢スノーシェッドを見ると、湖底から水面までの高さが分かり、ダム湖の水量の少なさが実感できた。
列車は、田子倉トンネル(3,712m)に入り、第二・第一赤沢トンネル、3つのスノーシェッドを潜ってゆく。明かり区間で振り返ると、電源開発㈱只見発電所・只見ダム越しに、田子倉ダムの躯体が見えた。
この後スノーシェッドと上町トンネルを抜けると、只見の町の中心部が現れる。雪はまったく無かった。
只見スキー場も、茶色いゲレンデを見せていた。
県内有数の豪雪地帯・只見町では3月末でも根雪が広範に残っているが、この光景は異常だった。“歴史的な少雪”は、雪害を起こさなかったものの、雪に頼り生活を営んでいる方々に相当なダメージを与えた事を実感した。
列車は減速し、駅員一人が見守る駅に入っていった。
14:28、終着の只見に到着。20名ほどの客が降りた。
ここから先、会津川口までが「平成23年7月新潟福島豪雨」被害で不通区間となっている。
ホームから長い連絡道を進み、駅舎を抜けると、駅頭には2台のバスが停車していた。春の「青春18きっぷ」シーズンの三連休という事で臨時便を出したようだが、列車の乗客数を考えると過分だったようだ。コロナウィルスの影響が只見線にも直撃していた。
14:33、臨時の直行便が11名の乗客を乗せ、定刻より早く只見を出発した。
代行バスは国道252号線を進む。ほぼ沿って走る只見線の復旧工事現場を見ながら進んだ。
山の斜面を見ると、真新しい擁壁が築かれていた。
会津蒲生、会津塩沢を過ぎ、塩沢川橋梁を見るとデッキの欄干が修繕され、塗装し直されていた。
代行バスは只子沢を渡り金山町に入り、会津大塩、会津横田、会津越川を過ぎ、本名スノーシェッドを潜り抜け直角にカーブし、東北電力㈱本名発電所・ダムの天端(本名橋)を通る。
下流側では只見線の「第六只見川橋梁」の復旧工事が進められていて、先日、崩落事故があった本名トンネル上部には足場が組まれ、重機が載せられていた。
犠牲になられた方は、只見線の復旧・運行を支援する会津17市町村の北塩原村の出身という。氏の冥福を祈るとともに、工事を担うJR東日本には、痛ましい事故が再発しないようして欲しいと思った。
本名を過ぎ、川口地区に向かう坂の途上で「第五只見川橋梁」が見えた。
15:12、代行バスは会津川口に到着。駅舎を抜け、ホームに向かうとキハ40形ではなくキハE120形が停車していた。事前に分かっていたとはいえ、初めて見る光景に驚いた。
キハ40形を見慣れているだけに、違和感も感じた。
キハ40形の奥会津の自然との親和性を改めて思い返すとともに、このキハE120形がどう馴染んでゆくか気になった。
只見方面を眺めた。列車の入れ替えで野尻川橋梁までレールが使われるため、運休区間には見えない雰囲気だ。
15:31、ディーゼルエンジンを蒸かした、会津若松行きのキハE120形2両編成が動き出し、会津川口を出発。この先、会津若松まで、車窓から見える風景に雪はほとんど見られなかった。
上井草橋を潜り抜けると、前方に大志集落が見える。曇り空が惜しかったが、見ごたえのある眺めだった。
車内の様子。私が乗った後部車両の乗客は、10名ほどだった。
会津中川を過ぎ、車窓から中川地区の集落を眺めた。
このあと東北電力㈱上田発電所・上田ダム湖(只見川)に近付く。
線路とダム湖の間の、木々と電線が無ければ...と思ってしまう良い景色が続く区間だ。「只見線利活用事業」の“景観創出”で対応してもらいたい場所の一つだ。
列車は「第四只見川橋梁」を渡る。下路式(曲弦ワーレントラス橋)のため鋼材が視界を邪魔するが、現在は只見線の冬ダイヤのため列車がスピードを落としているためよく見ることができた。
会津水沼を過ぎ、しばらく進むと、右に緩やかにカーブしている細越拱橋(めがね橋)を渡り三島町に入って行く。 開放的な空間が広がっていた。
早戸を出て、早戸・滝原の両トンネルを抜け「第三只見川橋梁」を渡る。 下流側を眺めた。
その後、列車は東北電力㈱宮下発電所・宮下ダム湖(只見川)の直側を通り、 会津宮下を経て「第二只見川橋梁」を渡った。
会津西方を過ぎ、名入トンネルを抜けた直後に「第一只見川橋梁」を渡る。これから春に向かい、どのように色づいてゆくか楽しみに思える空間だった。
只見川と離れ、会津桧原を過ぎて、滝谷の手前で滝谷川橋梁を渡った。新潟県側で見慣れた渓谷も、福島県側は少ない。その中でも、ここは随一の見応えがある。
列車は郷戸、会津柳津を経て柳津町から会津坂下町に入り、会津坂本、塔寺を経て、七折峠を下りきり会津平野を進んでゆく。
会津坂下を出発し、若宮を過ぎると会津美里町に入る。田んぼ越しに、磐梯山が見えた。この時期としては、やはり少ない冠雪具合だった。猪苗代町のスキー場は大変だったろうと思った。
16:58、新鶴に到着。少し早い夕食を摂るため、途中下車した。
向かったのは「肉の丸長本店」。
今年1月に訪れた際に、『次は桜ホルモンを塩で食べてみたい』と思い、今日のこの機会に訪れる事にした。 *参考:拙著:会津美里町「肉の丸長本店」 2020年 冬(2020年1月25日)
店の正面に行くと、併設する精肉店には次から次へと客が訪れていた。
食堂の開店は17時で、未だシャッターが閉まっていた為、店員に声をかけた。今日は予約が沢山はいっていたが、何とかテーブルが1席空いていて、シャッターが押し上げられ、店内に招き入れられた。
さっそく、「桜ホルモン」をシロで注文。「桜ハラミ」も頼んだが欠品ということで“代用品”となる桜肉になった。すぐにテーブルに並べられ、ビールを一口飲んだ後に、食べ始めた。
「桜ホルモン」のシロ。鮮度が良いため、生でも食べられ、常連さんは辛子味噌を絡めていただいていると店員から説明を受けた。
私も、まずは生で食べた。適度な弾力があり、臭みやクセもなく、旨かった。
続いて、焼き。タレの絡んだハラミの“代用品”と鉄板を半々に使った。
途中、日本酒を注文。店の看板には「泉川」(会津坂下町、廣木酒造)の名があったが、提供されたのは地元(会津美里町)の「萬代芳」(白井酒造店)だった。
桜ホルモンと地酒の相性は抜群で、途中下車した甲斐があったと、大満足の夕餉となった。
18:32、食事を終え駅に向かい、定刻通りにやってきた会津若松行きの列車に乗り込み、新鶴をあとにした。
列車は、根岸、会津高田、会津本郷を経て、闇に包まれた阿賀川(大川)を渡り会津若松市の市街地に入り、西若松、七日町で停発車を繰り返していった。
19:01、会津若松に到着。只見線の全線乗車が終了した。
隣りのホームには、磐越西線下り(喜多方方面)の列車が停車していた。只見線同様、今月14日のダイヤ改正でキハ40形・48形から切り替えられたJR東日本の最新型電気式気動車「GV-E400系」だ。
キハE120形と並んだ光景に、国鉄からJRへの完全な時代の移り変わりを感じた。
今夜は会津若松市内に宿泊。明日は、只見線の始発列車に乗り、奥会津の風景の中を走るキハE120形の姿を撮影する予定を立てている。
(了)
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*参考:
・福島県 生活環境部 只見線再開準備室
「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」/「只見線ポータルサイト」
【只見線への寄付案内】
福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。
①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/
②福島県:企業版ふるさと納税
URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html
[寄付金の使途]
(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。
以上、よろしくお願い申し上げます。