Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

komura's Ownd

ハラオチが成功を生むわけではない

2016.05.09 14:37

去年の終わりから読書熱が高まったことをきっかけに、自らの文章力(アウトプット力)も高めたいと考えこのブログを書いてきた。

しかし、ブログを書いていても何も生まれず、成長もみられずもどかしい。

そのもどかしさは結局「かっこつけたい」だけであり、勝手にハードルを上げているからである。


重い腰を上げて読書感想文(レビュー)を書こうにも、

「自分の意見を言わなければいけないんだ」

なんて考えて自分の意見に抜け目がないように見せる為に、引用だらけになってしまう。

感想を書こうとしているのか、要約を書こうとしてるのか自分でもわからなくなってきてしまう。

これも「かっこつけたい」だけである。


正しい読書感想文とはどう書くのだろう。そう考えてこの本を読んだ。

「自分と結びつける」これがこの本の一番のポイントだと思われる。

例をあげれば以下のようなポイントになる。

この「自分と結びつける」ことを試すゲームであることを忘れてはならない。


今後、読書感想文のコンクールに自分は出すつもりはないが、そのポイントを見てハッとさせられた。

  1. 自分がいいと思ったところだけでなく、その本の大事なところをつかんでいる。
  2. 社会に対して問題意識をもっている。
  3. その問題意識と自分自身の体験とをきちんとからめてかいてある

ただの個人のいいと思ったポイントや気づきだけではなく、「社会の問題意識」に目を向けるべきと知り、自分の視点の低さに気づけた。


この本の中にはもっと細かいポイントもある。

書く上で気にかかる部分を解消してもらえた。

ただ、ハードルを下げようといろんなことを言ってくれるが、先に挙げた「自分と結びつける」ことや「社会の問題意識」に目を向けるなどを聞くとハードルは思ったよりも下がらなかった。


本を読んだ結果、これができればよりかっこいいんだろうなと思い、「かっこつけたい」気持ちがより高まりハードルも一緒に上がってしまった。

しかし、メタップスの佐藤さんのブログを見て、ここで腰を重たくする必要はないのかなと思わされた。

もし時間の経過と共に自分の認識がアップデートされると仮定すれば、現時点では「できなさそうに思えること」と言うのは本当にできない事ではないです。現在の自分と将来の自分は同じではないという事を考慮に入れた上で、本当の自分の限界点を見極める必要があります。


「できる or できない」のような、行動をおこす時点と結果が分かる時点の時間差があることほど、自分の認識はあてにならなくなると感じています。
こういった人間の認識は放っておくと可能性を最小にする方向に動いていきがちです。
”人間の認識には限界があり、そこから作り出される「ロジック」にも限界がある” ということをまず前提とします。そして、将来的に新しい認識が得られるであろうことを考慮に入れた上で、一定の論理的な矛盾や不確実性を敢えて許容しながら、現在のロジックを構築します。
つまり、現在ではなく将来を起点にロジックを作ろうとするので、その時点での ”納得感” はある程度犠牲にする、という考え方です


これらの記事から2つの「限界」を認識することで自分のアクションのハードルを下げられるのかなと感じた。

  1. (現在と将来の自分は同じではないというポジティブな)本当の自分の「限界」点
  2. 人間の認識には「限界」があり、そこから作り出されるロジックにも「限界」がある

両者は対立しているが、どちらも自分のハードルを下げてくれるなと思った。


後者の記事には以下のような言葉もあった。

個人的には、限られた認識をもとにロジックの緻密さを詰めるよりも、認識を広げることに最大限の努力をしたほうが近道だったことが多い気がします。

振り返ると自分は完璧なハラオチを目指し(それができるとも思い)、今後自分が行くべき(目指すべき)道も頑張ればみつけられると考えていた。

もちろん学習は必要だとは思ったが、それはあくまで自分のロジック(仮説)の緻密さを詰める学習をイメージしてしまっていた。

手持ちの食材・調味料だけで最高の一品が作れると勘違いしているのと変わらないのである。

佐藤さんも引用していたこの動画は自分も好きだ。

振り返ると繋がっていたり、後付けでロジカルになったりもするのだ。


穴のないロジックを詰めて「かっこつける」ことよりも、認識を広げることを目的にするべきだとハラオチした。

それが正しいのかはわからないし、数ある未熟な部分のどこの認識を広げるべきかは難しい。

だけど、そんな"納得感"は犠牲にして突き進もうと思う。