ZIPANG-4 TOKIO 2020 「風流踊(ふりゅうおどり)」ユネスコ無形文化遺産提案へ!(1)
はじめに 記事をお届けするに当たり、昨夏、関東・東北地域を直撃した、強烈な台風19号と、続く21号の記録的な豪雨で、千葉や栃木、福島など5県の34河川で浸水被害や土砂災害により亡くなられた方々を始め、多岐に亘って被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。また、このたび我が国の世界遺産である沖縄のシンボル首里城の正殿等主要部分の全焼被害が発生。やりきれぬ国民的ショックも癒えぬ中、重ねて2019年12月4日、アフガニスタン東部で長年医療と共に当地に用水路を完成させた国民的英雄、中村哲医師の暗殺事件が続きました。余りにも大き過ぎる一連の悲報に暮れた昨今です。今私達は世界平和の為に何が出来るか…?中村氏が遺した後姿から一人ひとりが何かを学び取り、その実践こそが目指した真の世界樹に繋がるものと思います。謹んで哀悼の意を捧げつつ。合掌
この度、無形文化遺産保護条約関係省庁連絡会議において、「風流踊」をユネスコ無形文化遺産(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)へ提案することを決定しましたので、ご案内いたします。
今後は,3月末までにユネスコに提案書が提出される予定です。
「風流踊(ふりゅうおどり)」ユネスコ無形文化遺産へ提案決定!
「風流踊(ふりゅうおどり)」提案概要
風流踊(ふりゅうおどり)鬼剣舞
1.名 称
「風流踊(ふりゅうおどり)」
2.内 容
華やかな、人目を惹く、という「風流」の精神を体現し、衣裳や持ちものに趣向をこ らして、歌や笛、太鼓、鉦(かね)などに合わせて踊る民俗芸能。
除災や死者供養、豊作祈願、雨乞いなど、安寧な暮らしを願う人々の祈りが込められています。祭礼や年中行
事などの機会に地域の人々が世代を超えて参加。それぞれの地域の歴史と風土を反
映し、多彩な姿で今日まで続く風流踊は、地域の活力の源として大きな役割を果たしています。
3.分 野
民俗芸能
4.構 成
国指定重要無形民俗文化財である 37 件(下記のとおり)
※「チャッキラコ」の拡張提案
5.保護措置
伝承者養成、記録作成、用具修理・新調、普及促進 等
6.提案要旨
○「風流踊」は、広く親しまれている盆踊や、小歌踊、念仏踊、太鼓踊など、各地の歴史
や風土に応じて様々な形で伝承されてきた民俗芸能。華やかな、人目を惹くという「風
流」の精神を体現し、衣裳や持ちものに趣向をこらして、笛、太鼓、鉦などで囃し立て、
賑やかに踊ることにより、災厄を祓い、安寧な暮らしがもたされることを願うという共
通の特徴をもっています。
○世代を超え、地域全体で伝承されていることから、地域社会の核ともなる役割を果たしています。その起源は中世に由来し、時代に応じて変化しながら、今日まで伝承されています。
長い伝統を背景に、特に災害の多い日本では、被災地域の復興の精神的な基盤ともなるなど、文化的な意味だけでなく、社会的な機能も有しています。
○各地で受け継がれてきた「風流踊」のユネスコ無形文化遺産代表一覧表への登録は,地域間の対話や交流を促進し、地域の人々の絆(きずな)としての役割をもつ無形文化遺産の保護・伝承の事例として、国際社会における無形文化遺産の保護の取組に大きくするものです。
永井の大念仏剣舞
指定年:1980(昭和55)年
保護団体名:永井大念仏剣舞保存会
団体の所在地:岩手県盛岡市
概要
この芸能は、岩手県盛岡市永井に伝承されるもので、陸中方面に多く分布するけんばい(剣舞とも言う)と呼ばれる供養念仏の一種で、円形の大笠を冠る笠振りが出るなど、風流芸として特色あるものであります。
踊は歩き太鼓で練り込み、門口で庭讃めの回向をしたあと、庭まきで順まわりの輪になり、入羽・中羽・引羽と称してそれぞれ各曲を踊り、次いで笠振り・廻り胴・礼踊の芸能次踊で進行します。
また、入羽と中羽の頭には必ず「南無阿弥陀仏」の名号を歌にして唱え、念仏唄としてもすぐれたものを持っている点など芸能史的に貴重なものであります。公開は八月十四日から十六日。
おにけんばい 鬼剣舞
指定年:1993(平成5)年
保護団体名: 鬼剣舞連合保存会 ( 岩崎鬼剣舞 保 存会 、滑 田鬼 剣舞 保 存会 、朴 ノ木 沢念仏剣舞保存会、川西念仏剣舞保存会 )
団体の所在地:岩手県北上市 、奥州市 概 要
岩手県から宮城県にかけて分布する剣舞【けんばい】は東北地方の代表的な民俗芸能の一つであり、なかでも忿怒【ふんぬ】の形相の仮面を掛けて踊る剣舞は、鬼剣舞【おにけんばい】の名称でよく知られています。
ほかに阿弥陀堂の作り物を載せた大きな笠をかぶった笠振りが登場する大念仏などいくつかの形態のものがあります。これは主として盆に新仏の家や墓、寺などで踊られてきたものであり、念仏歌とともに踊られる亡魂鎮送を目的とした念仏踊の一種であります。
また踊り手が鬼と形容される異相の態をしたり、極楽浄土を眼前に見せるような作り物が登場するなど独特の形に意匠を凝らした風流【ふりゆう】の芸能です。今回取り上げるのは、岩手県の中・南部に分布する鬼剣舞です。
鬼剣舞は念仏剣舞とも称されるように衆生済度【しゆじようさいど】の念仏思想の影響を受けていることが解かるが、剣舞の語義はそれに限られるものではない。悪霊を踏み鎮める呪法の手として宗教史や芸能史研究において注目されてきた反閇【へんばい】がこれに関係しているのではないかとの説があり、また、芸能の徒が招宴の座敷で盃のやりとりをする時の献盃からきたものとする説もあります。
この鬼剣舞の由来については菅江真澄の『ひなの一ふし』、『かすむ駒形』に記されていること、また近年発見された岩崎剣舞の「念仏剣舞伝」の年号などから確かな文献資料としては江戸時代十八世紀に行われていたことを示すものしか見出されていませんが、各所に伝わる巻物伝書類の記録などにはそれ以上に時代を遡【さかのぼ】るものもあります。
踊りの内容は、鶏羽や馬の尻尾で作ったシャグマ状の毛を頭にいただき、忿怒面を掛けたイカモノ八名程度、カッカタ、あるいはサルコなどと称される者等の踊り手が、太鼓、笛、鉦【かね】の囃子方などとともに列をなして踊り場に入場し、楽器の演奏、念仏歌を背に、扇、アヤ竹(金剛杖などと称する所もあり)、刀の採り物を様々に駆使しながら踊ります。
演目は「一番庭」、「大念仏」などと称す一同全員が踊るもの、「一人イカモノ」、「三人イカモノ」などの少人数で踊るもの、「膳【へき】の舞【まい】」、「宙返り」、「ガニムグリ」などのアクロバティックな演技を見せる余興的なものなど多様であります。
また伝承地によって曲目、名称、演じ方などにそれぞれ特徴があり、今回代表的なものとして取り上げた四地区の場合、次のような違いがあります。
川西念仏剣舞の場合、亡魂済度の色合いの濃い演出をとっており、この剣舞は毎年八月二十四日の中尊寺本堂前の施餓鬼に行われており、「大念仏」の演目の終末部でサルコが亡魂を表すイカモノたちを一人一人念仏の功力によって成仏させる演技を見せます。
朴ノ木沢剣舞にも「大念仏」の演目がありますが、こちらでは讃め歌が歌われるのみです。一方、和賀地方の鬼剣舞にはこの色合いが薄くなっており、こちらの方では余興の曲芸的な演目が盛んであります。
岩崎剣舞は当地方鬼剣舞の元祖的存在であり、滑田剣舞はこの岩崎剣舞の指導を受けたものでありますが、岩崎にはない神楽系の演目をもっています。
鬼剣舞の踊り振りは極めて勇壮で力強い。踊り手はたえず気魄【きはく】をこめて頭部を律動し続け、また手足を様々に動作し続けますが、これは柔軟な腰の動作によって支えられているのであります。この手の込んだ巧みな踊り振りは他の同種の風流の念仏踊の追随を許さぬものであり、そのダイナミックな動作の群舞は代表的な民俗芸能の一つとして評価を得ています。
鬼剣舞は芸能の変遷の過程や地域的特色を示す特に重要な民俗芸能であります。
にしもないぼんおどり 西馬音内の盆踊
指定年:1981(昭和56)年
保護団体名:西馬音内盆踊保存会
保護団体の所在地:秋田県雄勝郡羽後町
概要
秋田県雄勝郡羽後町に伝承され、8月1 6 日 か ら1 8 日に行なわれる盆踊であります 。
盆踊は、全国各地でそれぞれの特色を伴なって伝承されていますが、西馬音内で踊られている盆踊は、とくに洗練された流麗優雅な踊り振りにすぐれた芸態を示し、盆踊の一典型として大変評価されています。
踊り手のうち、とくに女たちは端縫【はぬい】と呼ばれる端布【はぎれ】を縫い合わせた風雅な着物、あるいは浴衣に白足袋のいでたちで踊り、編み笠または彦三頭巾と呼ばれる黒頭巾をすっぼり冠り、顔を見せないようにしています。
彦三頭巾のいでたちは亡者をかたどったという言い伝えを残し、盆に精霊とともに踊るという供養踊の伝承の面影をいまに伝えているのです。
盆踊の囃子は、笛・大太鼓・小太鼓・三味線・鼓・鉦などで編成され、特設屋台の上でにぎやかに演奏され、これに合わせて地口と甚句が歌われます。
宵のうちは秋田音頭と同じ地口で囃される「音頭」から踊りはじめ、夜が更けてくるにつれて、「甚句」の踊となるのが習わしになっています。「甚句」の踊は、また、がんげ踊とも亡者踊とも呼ばれ
快活でにぎやかな囃子でありながら、その踊りの振りは実に優雅で美しく、数ある盆踊の中でも傑出したものと評価されています。
けまないぼんおどり 毛馬内の盆踊
指定年:1998(平成10)年
保護団体名:毛馬内盆踊保存会
保護団体の所在地:秋田県鹿角市
概要
秋田県鹿角市の毛馬内地区に伝承されている盆踊で、毎年八月二十一日から二十三日にかけて、地区内の本町通りを舞台に踊られています。
その起源は定かではないが、文化・文政年間(一八〇四-三〇年)に成立したと考えられる菅江真澄【すがえますみ】の『鄙廼一曲【ひなのひとふし】』に「盆踊大【だい】の坂【さか】ふし」の記事があることから、少なくとも江戸中期からは行われていたことが確認できます。その後、日中戦争から第二次世界大戦にかけて一時中断し、戦後復活し、現在に至っています。
盆踊当日は、通りの中央数か所に篝火【かがりび】が焚かれ、揃いの半纏【はんてん】姿の地区内の若者たちによる「呼び太鼓」の音により、踊り子が篝火を囲んで内向きに細長い輪を作ります。踊りは、祖先供養の意味をもつといわれる「大の坂踊り」と、より娯楽的な「甚句【じんく】踊り」の二つがあり、最初に太鼓と笛の囃子が付く「大の坂踊り」が、続いて歌のみによる「甚句踊り」が踊られるのが恒例であります。
なお、現在はこれらの後に、「鹿角じょんがら」と称してじょんがら節を余興として踊り、その日の盆踊を締めくくっています。おそらく、祖先供養の踊りである「大の坂踊り」に、より娯楽的な「甚句踊り」が加わり現在の構成になったものと考えられています。
地元で仏の手向けのための踊りであると言い伝えられている「大の坂踊り」には、かつて歌もありましたが、近代になってしだいに歌われなくなり、第二次世界大戦以後は太鼓と笛のみで踊るという現在の形式になりました。
直径約一メートル、長さ約二メートルに及ぶ大太鼓を先頭にして、子どもたちの踊りが続き、その後に次々と大人の踊り手が輪に加わり、静かに踊られています。「甚句踊り」は、七・七・七・五の詞章の鹿角甚句による踊りで、豊作を祈り祝うもの、郷土の風物を称えるものなど多数の詞章があります。
歌い手はかつては踊りの輪のところどころに入って歌いましたが、今では通りの中央二か所の定められた場所で歌うようになっています。二つの踊りは、いずれも篝火を囲んで踊る輪踊で、つねに輪の内側を向いてゆったりとした振りで踊るのが特徴であります。
また踊り手の衣装には決まりがあり、男性は黒紋付の裾をはしょり、その下には水色の蹴出【けだ】しを付け、胴〆【どうじ】めを締めて飾りとしてしごきを結び、白足袋に雪駄あるいは下駄を履く。女性は紋付・江戸褄【づま】・訪問着などの裾をはしょり、その下に鴇色【ときいろ】の蹴出しをつけ、帯を太鼓結びにし、帯の下腰にしごきを結び、白足袋に草履を履く。
なお男女とも、豆絞りの手拭いで額を隠すようにして頭を覆い、こめかみから前に折り返して口元を隠し顎の下で結ぶ、独特の頬被りをします。
以上のように毛馬内の盆踊は、祖先供養の盆踊に娯楽的要素の踊りが加わって今日の姿に至るまでの変遷の過程を示すものとして貴重であり、また地域的特色も顕著であります。
参考
■「風流」は、華やかで賑やかな、華美な人目を惹く目を見張るようなものを語源としています。
■趣向をこらした衣装や持ち物を用い、歌や笛,太鼓,鉦(かね)などで囃し、踊ります。
■祭礼や年中行事で行われる民俗芸能(風流踊)。
■各地域の風土や歴史に応じ、除災、死者供養、豊作祈願、雨乞いなどの願いを込めて、多種多彩に伝承されています。
今後の予定
~2020年3月末 ユネスコ事務局に提案書を提出
2021年10月頃 評価機関による勧告
2021年11月頃 政府間委員会において審議・決定
※我が国のユネスコ無形文化遺産の審査は実質2年に1件となっており、本件提案についても2022年11月頃に審議となる可能性が高い。
本号では、民俗芸能「風流踊」より秋田県と岩手県をご紹介いたしました。
続く・・・
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使
協力(敬称略)
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読者からのご意見が届いておりますのでご紹介いたします。
『読者の声』
ユネスコ無形文化遺産の申請から審議・決定までの何と長いこと⁉
しかも、2年に1件しか申請できないなんて・・・もっと速やかに進行できないものでしょうかね~
『読者の声』
八尾に暮らす人々が大切に守り育んできた民謡行事「越中八尾おわら風の盆」は情緒があって素晴らしいと思います・・・西馬音内盆踊~洗練された流麗優雅な踊りは言葉では言い尽くすことが出来ません。同時に同じところで見ることが出来ないのかな~例えば待ちに待ったオリンピック・パラリンピックが・・・もしも…もしも…延期にでもなったなら(延期にはならないで欲しいですが)オープニングを予定しているその日その場所で日本の祭りを・・・
『読者の声』
全国にそれぞれの地域に伝わる民俗芸能があって、地域の人々の楽しみ方があるのだと思います。夏の盆踊りのときは情緒ある風流踊を
見たくなります。夏の盆踊りが待ち遠しいです。