雪解け
「俺ね、まだ許してないんだよ」
我が子の自死から一年経つか経たない頃のこと。
家族で久々の外食中、賑わっている店内で少しお酒が入って体と心が多少ほぐれてきたのか、夫の口からポロリと零れ落ちた台詞。
「許してないって? なにを?」
それまでの会話の脈絡からも逸れていたので、ポカンとしている長女を横目に私が問い返すと、
「◯◯ちゃんのこと、俺まだ許してないんだよね」と。
許すとか許してないとか、そういう観点からは考えたことがなかった私には一瞬ピンときませんしたが、どうやら夫は亡き子に対して怒りの気持ちを強く持っていたようなのです。
そういや長女も、当初は「裏切られた、腹立たしい、新しいゲームを一緒にやる話もしていたのに、騙された!」と、悲しみを通り越した悔しさから、そう話していたこともありました。
『裏切られた気持ち』
正直私にもありました。
それだけ、仲良し家族で楽しく暮らしているんだと、疑いもなく家族皆が思っていたからでしょう。
それは亡き子だって同じだったはず。
遺書には『楽しかった。良い思い出もたくさん作れました』とありました。
けれど、自ら逝く者と遺された者の気持ちのギャップが激しくあります。
自死した本人は『申し訳なく思う』とも冒頭で綴り、どうやら一年前くらいから徐々に心の準備をしていたみたいな説明書きもあったのですが、まわりにしてみれば前置きもなく突然旅立ってしまった状態なんですよね。
「俺はまだ許してない」
「………気持ちはわからないでもないよ、でも、◯◯ちゃんなりに本気で悩み、思い詰めてしまったのだから、せめて………親の私たちが許してあげないと可哀想だよ」
私は宥めるつもりで言い返しましたら、
「いや、親だからだよ。俺たちは叱っていいんだよ、親なんだから。もし、生きていたらそうするだろ? こんなことをして………」と。
確かに。
けれど生きては居ない、だから叱れない。
「今は許せなくとも、そのうちそういう気持ちからも解放されていくとよいね。それまではとことん心の中でぶつぶつ(仏仏)と対峙しながら叱り続けてみたら? 気が済むまで」
答えながら私自身にも言い聞かせているんでしょうね。
だって………そう、気が済むまでそうするしかないのです、自責の念も。
「俺は、あまり自責って無いんだ。俺なりに◯◯ちゃんのことは一生懸命に思い、出来る限りかわいがって育ててきたと思ってるから」
自責に関しては、こう言い切る夫のことを心底羨ましいと思いました。
そして、それ故、亡き子に対する怒りの方は相当なのでしょう。
その点、私は違う。
あの時ああしていればという、後から思えばタラレバの方が多いのです。
同じ家族でも、同じ亡き子の親でも、それぞれ悲嘆のナカミは同じではないのですね(^_^;)。
夫婦だから、親子だから、兄弟姉妹だから、わかちあえるのかと言えば、そうでもなかったり。
それどころか、考え方の違いでぶつかったり、事後の気持ちのスレ違いから、離婚、もしくは家族バラバラになってしまうことも往々にしてありますし。
近しい者、特に普段生活を共にしている家族や恋人の自死って、それほどに強烈で恐ろしいことです。
こんなときほど、助け合わなければならない家族(遺族)なのに、なかなかうまくいかないものですね。
私の家族も、心情的にはめちゃめちゃに壊されたその瓦礫の中で、ひたすら藻掻いてきました。
それでも藻掻くことができるということは、心が死んではいない、生きている証拠だったのですね。
そこから、瓦礫を拾う片付け作業にとりかかるまで、一年以上かかりました。
悲しみで凍り付いた心を溶かし切れずとも、僅かな暖をとり、その日暮らししてきた心と体。
出来る範囲で、気晴らしのアイテムや楽しみを少しずつ見つけたり試したりしながら、三回忌を過ぎたあたりからでしょうか。
家庭の中の空気にも、わずかな変化が出てきました。
去年の春、事後初めて、旅行予定を立てるまでに、気力が復活していたんです。
旅の出がけに、
「一応スーツケースを開ける暗証番号をおしえておいて。旅行中突然倒れたりして、お互いのナンバーを知らないと開けられなくなるから」と、夫に伝えると、
「俺のは0922」
――え、同じじゃん………
亡き子の誕生日ナンバーです。
考えていることは一緒?的な………?
“許していない”と語っていた夫のその後の気持ちは訊いていません。
けれど彼の中で、私の中でも………雪解けを感じたような事後最初のエピソード。
――なんだ、ちゃんと思っていたんだな
『亡き子も旅に連れて憩う』と。
📷写真は、自死することにより自分の遺志『養育権を元夫に託したくない、一人娘を実母の元で心豊かに育てて欲しい』との強い思いを貫いた、童謡詩人 金子みすゞさんのお墓があるお寺の入り口です。
真ん中辺りに小さく覗いてみえるのが、彼女のお墓。
このときの旅行中に訪れた場所の一つです。
ちょうどお彼岸時だったのでおまいりしてきました。
📷みすゞさんの生前の部屋を再現した記念館で。
HP⇒金子みすゞ記念館
📷みすゞさんが愛した町、長門市先崎。日本海に面した小さな漁港で。
ふいても、ふいても
湧いてくる、
涙のなかで
おもふこと。
まつげのはしの
うつくしい、
虹を見い見い
おもふこと。
/金子みすゞ『睫毛の虹』より
(Amebaの自死遺族関連のリブロ先を辿って見つけた詩文とリンクして思い出されました)。
子を想う母親の気持ちは時代を超えてリンクする(^^)!?
今年のお彼岸連休には、遠出する予定は組んでいないので、みすゞさんの詩文集を読み返してみようかな。