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「帝国製麻琴似亜麻工場跡」。

2020.03.20 01:41

(あしあと その886・北区の107・麻生の2)

麻生の住宅街の中、、狭い市道の半分近くをふさぐようにして1本の大きなアカマツが残されています。

樹の根元に説明板が立てられていて、そこには

「帝国製麻琴似亜麻工場跡

明治7年(1874年)当時のロシア公使・榎本武揚が開拓使長官・黒田清隆にロシア産の亜麻種子を送ったのが、本道の亜麻栽培の始まりであったと言われている。

明治20年(1887年)に後の帝国製麻株式会社となる亜麻会社が発足。現在の麻生町一帯の約8万坪(244,000平方メートル)の地に製線工場を建設し、同24年に操業を開始した。明治後期、亜麻事業は全盛期を迎え隆盛を続けたが、昭和20年代に入り原料のコスト高や化学繊維の進出などで、工場は閉鎖の運命を余儀なくされた。昭和32年(1957年)のことである。ここは、工場長宅があったところで、当時からのアカマツが残っている。工場は現在の麻生球場付近にあったと言われている。」

と記され、その下には「昭和18年頃の帝国繊維殊に製線工場」と題された白黒写真が掲げられています。