ロシア帝国の道3-第一次露土戦争勃発
2020.03.20 11:15
1568年オスマンのセリム2世とロシアのイワン4世雷帝との間に戦争が始まった。イワンは56年にアストラハン国を征服し、黒海へ進出していた。これによってヴォルガ川流域はロシア領となり、「母なるヴォルガ」と呼ばれるのはここからである。しかしロシアの南下はオスマンを刺激した。
オスマンはアストラハン奪回のため、物資搬入のヴォルガードン運河を計画、これは独立国であったクリミアハン国と合同作戦だった。ロシアはこの作戦を阻止するため、ここにクリミアを巻き込んでの露土戦争が開始した。しかし北でもリヴォアニア戦争があり、ロシアは兵を送れない。
69年9月、オスマンはアルトラハンを包囲したが、やはりサプライルート不足で自慢の大砲が12門しかなく、包囲を完了できず、冬が来てやむなく撤退。オスマンもイオニア海での作戦が激化して、70年講和条約が締結された。しかしこれはこの後続く戦争の始まりにすぎなかった。
イワン雷帝の強権政治と対外拡張は、限界を越え、71年にはリトアニアとクリミアが同盟を組み、モスクワを焼き払われる事態が起こる。さすがの雷帝も、内外の危機に戦争の終息へと方向を変えざるをえなくなった。