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Pianist由美子UNO が綴るショパンの情景

こんにちは、今日は暖かい一日でしたね。ちょっとショパンに思いを馳せて。。

2020.03.21 08:40

こんにちは、お元気でしょうか?

今日は各地で日中はたいへん良い天気に恵まれましたね。

桜のつぼみも、そろそろ咲いてもいいかな~と、まるで考えているかのように風に揺られながら、少しずつ少しずつ膨らみ今にも弾けそうです。

昼間は、とても暖かい日でしたね。夜はまた気温が下がって来ますので、まだまだ冬の寝具や服も片づけられませんね。どうぞお気を付けくださいね。


さて、寒がりと言えば、そういえば、ショパンも寒がりだったようですね。

ショパンと言えば、年上の女性サンドとの恋愛話のように思われがちですが、ショパンは

作曲家としてウィーンで有力なパトロンに恵まれなかったため、その後のパリでもポーランド人であるという人種差別を受けたり、ショパンの才能をやっかむ同じ作曲家との熾烈な戦いに巻き込まれたりと、さまざまな苦難の道を歩んで来ました。マリア・ヴォジンスキ一家との破局や故郷のワルシャワの婚約者コンスタンツェが結婚してしまったり、ショパンの人生は仕事も恋愛も思うようにならないことばかりでした。ショパンは恋愛よりも音楽で生きることを誓ったのでしょう。

そんな時に、パリで有名だった男装のサンドにショパンはノアンへ来るように誘われたのです。初めは断っていたショパンでした。

そこで、お互いに一目ぼれでとか、どちらかが物凄く燃え上がってとかの恋愛感情が生まれたかはあまり信憑性がないのです。そして、血と涙のマヨルカ島。。もうサンドの他に頼る人がいない状況に追い込まれたショパンでした。

ポーランドへも帰れないショパンにしてみたら仕方がない選択だったのかもしれないですね。

そして、冬の寒さから逃れるためにノアンへ行っていたショパンですが、ノアンの気候も昼と夜の気温差が激しく、ショパンは洪水も経験したこともあったり、とてもたいへんだったようですね。ノアンへ行っていたことはショパンの命を少しは生きながらえさせたのか、

それとも、パリから遠いノアンの往復が頻繁だった時期などもあり、かえってショパンの身体に負担になったのか、それはわかりません。ショパンがもう少し長く生きていたら、

どんな作品がまだ生まれたか・・それはなかったことだけれど、欲張った思いが湧いてくるのは私だけでしょうか。。。



それにしても、

自然に恵まれた環境というものは素晴らしいものと思いますが、自然と暮らすことは困難も伴いますね。

自然から学ぶことは幾つになってもたくさんありますね。

それでは、また。

今日もショパンのお話はまだ休刊です。

どうぞ、よろしくお願いいたします。(^_^)


ノアンの館の庭の木

サンドの息子モーリスと娘ソランジュのためにサンドが植えた木々

19世紀頃